出来れば一緒に笑って欲しい
2025/11/15㈯長い日記
今日は実家に、この前の遠出のお土産を渡すのと、子供の頃の僕を迎えに行く日。
用事を済ませてから実家に向かった。
まずは予約していたゲームソフトを買い「ご自由にお取り下さい」の可愛いシールを遠慮なく2枚貰った。
今日のトラベラーズノートに貼ろうと思って。
そして電車に乗り実家近くの駅に着いて、お正月に親戚に渡すお菓子を購入。
実家に置いておくの。
母は嫌がるんだけどね。
店員さんに熨斗紙を断った後、思い出した。
毎年、僕だと分かるように、僕の住む町のお菓子にしているんだけど「このお菓子は誰からよ?」と叔母がわからなかったみたいで。
今までも僕の住む所を覚えていなかったのか……ってことだよね?
ちょっとショックだった。
なので“来年は熨斗紙を貼ろう”って
決めたのに、日記にも書いたのに、失念していた。
100均で熨斗紙を買おう。
この問題は解決。
しかーし従兄弟のお嫁さんが(この呼称に異議を唱える人もいるだろうけど)僕にだけ小さいお菓子をくれる事には来年も引っ掛かるだろう(これも去年書いた、執念深い)
子供のお年玉も、ちょっとした玩具も渡しているのにね、嫌われているのか、彼女の節約方法なのか。
初めて会ったお正月から、こうだから、お年玉の金額に不満とかじゃないはず、、と思うんだけど人の心って
わからないもんね。
他の親戚にはバレない上手い?方法で渡して来るから、僕の両親しか知らない。
“お菓子が小さいぐらいで、それこそアナタが小さいね”って話しだけど、ここで聞いてもらって、来年も期待はしないし、気付かないふりをして、やり過ごす決意を固めよう。
親戚関係が拗れたら、親も巻き込むことになるからね。
ここでやっと作文の話し。
今日まで
“おばあちゃんのことを書いた作文?”
“先生に、とても褒められて嬉しくなって渡した作文?”(友達は、この説を押していた)と思っていたら
予想の斜め上を行っていた。
なぜなら1つの作文ではなく
作文集だったから。
見た瞬間に爆笑したよ。
友達の「ちょっとどころじゃないよ、だいぶだよ」は正解だったよ。
「仰る通りでした」って報告しよう。
文集には花が咲いた木を描いてあって、僕には何の木かわかった。
りんごの木だと思う。
5枚の花びらだし。
この頃は植物好きとは自認していなかったけれど、この頃から既に好きだったんだなと思った。
りんごが成っている木より花を描く。
分かる気がする。
本質は変わらないものなんだね。
このあとも自分の変わらない本質を見たんだよね。
遠足のことが書かれてあって
遠足に行くまでが長いの。
書くクセも変わらないなあ。
この前の日記も駅で会った子供たちの話しを書いていたし。
遠足は公園に行ったらしく公園名を書いてあった。
公園内では友達との関わりは全く書いておらず、大きな木の根の話しを書いている。
友達より木!?
しかも根っこ。
あーよく笑った。
もう一つだけ作文を読んで帰って来た。
その作文でも今の自分の片鱗を見たよ。
子供の頃って大人になっても全て
覚えているものだと信じていたけれどね、忘れることがほとんどで。
風に吹かれて、何処へ流れて行くかわからない砂のようで、ちょっと虚しく、寂しくもあるね。
お正月に作文の公園に行こうかなあ。
調べたらあった。
公園名を間違えずに書いていて
偉い。
再びの遠足だから母に「卵焼きを作って」と甘えようかな。
いつもお弁当に入っていたんだ。
「自分で作りなさいよ」って母は
嫌がるかな。
“長文でも良いよ”の人ありがとう。
おやすみね。
2025/11/21㈮追記
“従兄弟に嫌われているのでは?”
言葉に詰まるね。
2025/11/24㈪追記
マツケンさんのは両親へのお年玉袋に。
ファミマでマツケンさんの福袋が抽選販売されたんだって。
ご利益ありそうだよね。
マツケンさんのトランプとか入っているらしい。
家族、親戚と楽しいお正月になりそうだなあ。
ちょっと欲しい。
11/15/2025, 1:21:42 PM