わをん

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『過ぎ去った日々』

施設の一画で老人が虚空に語り聞かせている。自らが若かりし頃の思い出を。老人は聞く者のいない思い出を繰り返し語る中で妄想を滲ませていき、やがて自らを一国の主だと思うようになった。誇りは高く、しかし寛大な国王なのだと目に生気を漲らせて施設の介護職員に語って聞かせた。
寛大な王以上に寛大な職員は突然に現れた王に対して自分を召使いだと思わせるように接した。他の職員もそれに倣った結果、召使いの数は2倍にも3倍にも増えて王はいつでも機嫌よく過ごせるようになった。
もともと老人だった王はいっときは溌剌としていたが数年の後には床に伏せがちとなった。
「わしはもう長くはない」
「そんな弱気な発言をなさっては、民が悲しみます」
「しかし自分のことは自分がよくわかっておる」
「王様……」
「長い間、よく付き合ってくれた。わしの国は、……わしの話は、もうじき終わりよ」
召使いが涙を溢れさせる間に王は眠りに落ち、崩御となった。国葬はしめやかに慎ましく執り行われた。
身寄りのない老人かと思われたが遺骨を引き取りたいという若者が施設を訪れた。
「あの、おじいちゃんはここではどんな感じでしたか?」
対応した職員の召使いであったときの記憶が昨日のことのように蘇る。
「最初ここに来たときはぼんやりとした人だったんだけどね……」
楽しげに、懐かしげに、召使いは過ぎ去った日々を語り始めた。

3/10/2024, 4:40:30 AM