“夜の海”
付き合って、とおもむろに言われてそっけないふりをして頷いた俺は、そのまま彼女に手を引かれ夜の海まで自転車を走らせていた。
日が落ちてもなお、茹だるように暑い。海沿いまで走らせてやっと風を感じるようになったが、それでも暑いものは暑い。こめかみや背中を汗が伝っていく感触が気持ち悪い。俺はなんでこんなに必死にペダルを漕いでいるんだっけ?現実から目を逸らすように俯いた視界の先に、自分の腹に回された彼女の腕を見つけた。じわりと更に暑さが増したみたいだった。
彼女はあれから一言も喋らない。顔を合わせれば憎まれ口の応酬となるのが常の俺達がこれほど長い時間無言を貫いているのは多分出会ってから初めてのことだ。
なんで俺を誘ったのか、なんで海なのか、なんで喋らないのか、聞きたいことは山程あった。重たいと、疲れたと、なんで後ろに座ってるんだと言ってやりたいことも山程ある。だけど一言でも口にしてしまったら何かが終わってしまう気がして、何も言えずにただひたすらペダルを漕いでいた。
やっとたどり着いた目的地で自転車を降りる。一足先に降りていた彼女が浜辺への階段を降りていくのにただ黙ってついていく。日中は家族連れや学生でごった返す浜辺も夜は流石にほとんど人影はなかった。
人のいない浜辺に、俺達二人の足音と波の音ばかりが響いていた。湿気で跳ねる癖っ毛を必死に撫でつけている俺とは裏腹に彼女は肩まで伸びたストレートヘアを惜しげもなく海風に靡かせていた。そろそろ聴いても許されるだろうか。こわごわ口を開くと、見透かした様に彼女が振り向いた。
「……好きなの」
「……えっ、と……」
「私ね、夜の海好きなの」
だからずっと来てみたかったのよ。あっけらかんと彼女が笑った。こっちの気も知らないで。モヤモヤとした気持ちを踏み潰す様に俺は大きく一歩を踏み込んだ。やっぱり彼女は見透かしていたみたいににんまり笑う。
「ね、期待した?」
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尻切れトンボ(恒例)
8/15/2024, 2:12:11 PM