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墓地(テーマ 怖がり)



 こどものころ、父は自宅は建て直した。新築になった家は広く、2階には窓の大きなこども部屋があった。

 真新しい家は快適で住みやすかったが、こどもだった私には一つ気になることがあった。

 こども部屋の大きな窓から一番良く見えるのは、家のリビングに面した墓地だったのだ。


 こどもの私は、昼間は墓地や、その近くの山に遊びに行っていたくせに、夜になるとその墓地を怖がり、よく母の元へ行っては、窓から音がなる、天井がミシミシ言う、など言って母を困らせた。

 夏は暑く、部屋にはエアコンもないため、窓を開ける。
 山から入るひんやりとした冷たい空気がゆっくりと入り込んでくる。
 暑い時はこの空気が快適だったが、一方で墓地の空気が入っているかと思うと怖がることも多かった。

 私には今も昔も「霊感」というものはないが、怖がっていたからだろう、怖い夢はしょっちゅう見ていた。

 母は私の怖がりを厄介に思っていたのだろうけれど、特に顔に出すことなく、昔話をしてくれた。

「私の父さん、あんたのおじいさんは、昔、ここに住んでたんだけど、昔釣り竿とランタンで火の玉を作った事があってね。帰ってきた私と妹の前に釣り竿で吊るしたランタンをおろして、脅かそうとしたことがあったよ。ひょうきんな人だから。」

 墓場の目の前でそんなことをするなんて、祖父は冗談が過ぎる人ではないか。
 こども心にそう思っていて、怖がるこどもの私にはあまり効果はなかった。


 
 次第に成長し、小学校を卒業する頃には、私は目の前の墓地はすっかり平気になっていた。むしろ、たまに近くに住み着く野犬や、山から来る蜂、または家に出るゴキブリやムカデの方が実害が大きかったのだ。
 夏の夜、のどが渇いて1階の台所へ降り、冷蔵庫の扉を開け、冷えた麦茶を飲む。コップを洗って乾燥機へ入れて2階へ戻る。
 夏季限定だが、その間にゴキブリを見る可能性はだいたい30%くらいだった。実害のない墓地よりもゴキブリとの対面のほうがよほど恐怖であった。

 なお、ゴキブリをいくら退治しても、山からいくらでも補給されるのできりがないのである。

 後に大学に行って寮やアパートで暮らした際には、ゴキブリが出る確率の低さに驚いたものだった。

 ゴキブリの話は置いておく。


 墓地はすっかり平気になり、特に気にならなくなった。

 高校生になってからは、もっぱらついていけない授業や、片付かない宿題や分からない試験の方がよっぽど恐怖であった。その分部活動にのめり込み、成績は特定の得意科目以外は低空飛行で、教師陣のお情けで卒業させてもらったと、今でも信じている。



 大学で卒業が見えてきた年になると、就職活動をすることになる。
 何社も受けて、何社も落ちた。
 東京に出て、説明会や試験をハシゴして回ることが増えた。

 説明会や試験を受けると、それまで学生ではいかない場所も沢山訪れることになる。
 会場をハシゴするために、知らない道を通ることはしょっちゅうであった。

 最寄りの地下鉄駅が遠かったため、地図を片手に進み、青山霊園に入った。

 通り抜けるとショートカットできるのだ。

 しかし、霊園に入った大学生の私は、むしろ心が落ち着いた。

 そこは、東京の、見上げると首が痛くなるほど背が高いビル、酔うほどの車や人の多さ、音の洪水のようなうるささから開放された空間だった。

 墓石と敷石の沈黙の世界。

 不思議と落ち着いて、むしろ、暫く霊園でくつろいでいた。

 後日、古い友人に話すと笑われた。

「そりゃあれだよ。きみんち、墓場の目の前だったじゃん。今さら墓場が怖いなんでないでしょ。」

「まあね。」

 何がいいたいかと言うと、恐怖は慣れる、ということだ。
 大人になってからの勉強は、仕事に必要な分だけやることにすれば割り切れたので、そこまで恐怖ではなくなった。

 しかし、ゴキブリだけは、何故かまだ慣れない。

 突然でてきて、私を恐怖に陥れるのだ。

3/17/2024, 10:21:15 AM