64.『あの日の景色』『届いて……』『冒険』
「く、届かない……」
タンスの上に置いてあるアルバムを取ろうと手を伸ばす。
どんなに手を伸ばし、つま先立ちしようとも、一向に手が届かない。
「こうなったら……」
手に取れないなら、落としてしまえ。
さっきまで掃除に使っていたハタキ棒を手に取り、アルバムを小突く。
「届いて……」
だが届かない!
思ったよりも高い位置にあるようでかすりもしない。
誰だ、こんな所に置いたのは!
もっと取りやすい場所に置けよ!
私が憤っていると、後ろに誰かが立つ気配がした。
「これかい?」
頭の上から囁くように男性の声が聞こえ、すっと後ろから手が伸びる。
そしてタンスの上のアルバムを取った後、私の前に差し出した
「……頼んでない」
私は受け取りながらも悪態をつく。
確かにありがたいが、どうしてもお礼をする気にはなれない。
どうにもこの男の笑顔は胡散臭くて信用できないのだ。
私の拒絶の言葉に、男は気にしたふうもなく微笑み続けていた。
「このくらい、頼めばすぐするのに」
「嫌よ」
「強情だね。
君の頼みなら幾らでも叶えるよ」
「『幾らでも』?」
「そう、幾らでも」
「アナタ、やっぱり嘘つきなのね」
私は男を軽蔑するように睨む。
「叶えるのは3つだけのくせに」
私が指摘すると、彼は困ったように肩をすくめた。
彼はランプの魔人だ。
願い事を3つ叶える系の。
先日祖父が亡くなり、遺産としてもらった古びたランプ。
全く覚えていないのだが、小さい頃の私が気に入っていたらしい。
そして何も知らずにランプを洗おうとしたら魔神が出てきたのだった。
出てくるなり、3つ願い事を叶えると言われたが、私は信用していなかった。
初対面から馴れ馴れしく、正直印象は悪い。
いきなり距離を詰めてくるのは、詐欺師かナンパくらいだ。
「消えて欲しいんだけど」
「いいよ、願い事を3つ叶えたらね」
「そんなのどうでもいいから消えて欲しい」
「そう言うなよ。
なんでも叶えてやるぜ。
例えば、最近流行りの異世界転生とかどう?
チートもあげるし、それ使って自分だけのハーレムを作ってもいいし、国を作って女王になってもいい。
もちろん飽きたら帰れる保証付き。
どうよ?」
「……あなた、ラノベ好きなの?」
「君が構ってくれないから暇なんだよね。
悪いとは思ったけど、君の部屋を家探しして――」
「乙女の部屋に勝手に入るなぁ!」
頭に血が上り魔神につかみかかるが、ひょいと身をかわされた
バランスを崩し畳の上で転がる私を、魔神は面白そうに見ていた。
「で、なんでアルバムを探してたの?」
「……」
「構わないだろ、別に。
減るもんじゃないんだから。
願い事と違って」
「……」
「もう一回、君の部屋に行こうかな?」
「分かったわよ」
私は広げたアルバムを魔神に見せる。
「昔の写真を探してるの」
「どんなヤツ?」
「小さい頃、ランプで遊んでいる写真ないかと思って。
私ランプでよく遊んでいたらしいんだけど、全く覚えていないのよね」
「そんなこと言っていたね」
「なんか気持ち悪くてね……
気になってその頃の写真、探してるの」
「これじゃね」
「え?」
魔神が指をしたのは古ぼけた1枚の写真。
小さい私が笑顔で写っている。
大きな男の人の腕にぶら下がって、とても楽しそうだ
見切れているから顔はわからないが、多分あの頃よく遊んでくれた親戚だろう
あの日の景色はよく覚えている。
よく夏休みに祖父の家に連れてこられた。
しかし祖父の家はド田舎にあり、娯楽らしい娯楽は無かった。
そこで暇を持て余した私は、広い祖父の家を冒険していたのだが、その時付き添ってくれたのが件の親戚の人である。
大きくなってからは次第に祖父の家に行かなくなり、その親戚の人とは会わなくなった。
今だから言うが、初恋の相手だった。
顔はもう覚えてないけれど、今でも色あせることは無い大切な思い出……
だけど……
「でもこれは違うわ。
どこにもランプが映ってないもの」
「いいや、これで合ってるよ」
「だからね……」
「この写っているやつ、俺だよ」
私はぎょっとして魔神の顔を見る。
「あの頃の君のおじいさん、ランプを手に入れて俺を呼び出したんだよ。
で、どんな願い事をするか悩んでるときに君が遊びに来たんだ。
せっかくだからと願い事を一つ使って、君の相手をさせられたというわけ。
安請け合いをしたけど、あの時は参ったよ
君って、結構お転婆で付いて行くのが大変で――って渋い顔してるね。
どうしたの」
魔神が心配そうに、私の顔を覗き込む。
だが私はさっと目を逸らす。
なんということだろう。
どうやら私が気に入っていたのはランプではなく、この魔神という事らしい。
そりゃ、思い出せないわけである。
そして信じがたい事に目の前の魔神が、私の初恋の相手らしい。
こんな軽薄な奴に惚れていたなんて、小さい頃の私はどうかしていたに違いない。
恥ずかし過ぎて、すぐにでも消えていなくなりたい――と悩んでいた時、私は天啓を得た。
そうだ。
ちょうどいいやつがいるじゃないか!
「ヘイ魔神。
この写真と私の記憶を消して。
あとアンタの存在も」
「何事!?」
「アンタに懐いていたなんて屈辱だわ。
世界からこの出来事の痕跡を消すの。
願い事も3つ叶えられるし、Win-Winね」
「俺が一方的に負けてるんだけど」
「大丈夫、存在が消えれば何も感じないわ」
「考え直せ!」
「はやく消してーー!」
結局、魔神は願い事を叶えなかった。
どれだけ言っても首を縦に振らない。
私の顔を見るたびに願いを言えと言っていたくせに、これでは話が違うではないか!
挙句の果てに、
「悪い、俺が追い詰めたんだよな。
俺が願い事の催促をしたばっかりに。
ゆっくり考えていいから、少し休め」
と言って、私を無理やりベットに寝かしつけて看病し始めた。
違う、そうじゃない。
キャラに似合わない甲斐甲斐しい看病に、ほんの少しだけトキメキそうになるも、多分気のせいである。
おかゆを作ってくれている後ろ姿に萌えたりしたのも、きっと気のせいだ。
気のせいって言ったら気のせい。
私はこいつなんかに恋したりしない。
「絶対に恋なんてしないんだから!」
こうして終わったはずの私の恋物語は、数年ぶりに動き始めるのだった。
7/14/2025, 1:28:53 PM