お昼過ぎだった。
お屋敷を飛び出して、私は裏庭に飛び込んだ。
後ろから飛んでくる怒声たち。それらが追いついてくる前に、鬱蒼と茂った庭木へと。
どんどんどんどん前に進んでいく。枝が引っかかっても気にしない。
進んで進んで、もっと進んで。
開けた場所に出て、私の足はやっと止まる。
そこは私の大切な場所。
小さな頃からの小さな秘密基地。
ぽっかり空いた空間は芝生と一本だけ離れて植えてある枯れ木だけ。
その枯れ木に手を付いて、私はずるずると膝をついた。
昔の私ならここでわんわん泣いたっけ。
今はもう涙なんて出てこないけれど。
ごつごつとした枯れ木に手を滑らせる。昔はまだほんの少し葉が付いていたこの木も、今はもう葉っぱ一枚生えてこない枯れ木になってしまった。
まるで私の心みたいね。
その場に座り込む。昨日は雨だったからかちょっと湿っている。でも気にはならなかった。
無心に、ぼんやりと、枯れ木の肌を撫でていく。
かり。
指先が木の窪みに引っかかった。
窪みを見る。それは木肌に彫られた文字の一部だった。
まだ残っていたんだ。
ほんの少し、心が温まる。
小さい頃、本当に小さい頃に、あの人と彫った文字。
歪で、拙い、あの人が彫ってくれた文字。
私とあの人の頭文字、その間に彫られた相合傘。
あの人は、これで二人は恋人同士だなんて言ってたっけ。
何も知らない頃だったから、間に受けた。
私も、あの人も。
誓いのキスまでここでしたっけか。
「ああ」
歪んだ文字が更に歪む。
目が熱い。頬に雫が流れていく。
そして落ちた雫は、私の着る喪服を濡らしていく。
「なんだ」
私、泣けるんじゃないか。
もう泣くことなんてないと思っていたのに。
それくらい、もう充分泣いたはずなのに。
溢れて止まらない。
四十九日が過ぎたって。三回忌が過ぎたって。
他の殿方に嫁ぐことが決まったって。
「好きよ」
屈んで、滲んで歪んだ文字に口付ける。
あの人と初めて口付けた時はどんな感じだったっけ。
あまり思い出せなくて、込み上げて、溢れた。
2/5/2024, 12:16:43 PM