かおる

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「飴、どうぞ」
 カラカラとキャスター付きの椅子が近づく音が側で止まると、スマートフォン片手にお昼ご飯を食べていた私の前に飴が差し出された。
 ピンクと金色の小花柄の包装紙に包まれた四角い飴だ。
「ありがとう。あ、この飴昔よく食べてました」
 様々な花に彩られた黒いパッケージは、子どもの目には少し背伸びをした可愛さとして映り、よく親に買ってとせがんでいたのを覚えている。
 子どもの頃は、今目の前にあるものと同じ、甘いバター味が好きだった。自分で買うような年齢になると、それより少しさっぱりしたヨーグルト味を好んで食べるようになっていた。
 思い出したら食べたくなってきた。今日の帰りにコンビニにでも寄って買って帰ろう。
「この飴大好きで、切らさないように家に絶対1つはストックしてたんですけど」
 背もたれを抱えるようにして座る彼女は、そこでこちらの反応を窺うように言葉を切る。
 思わず少しだけ身を乗り出した私に、彼女は深刻そうな表情で告げた。
「生産終了しちゃったんです」
「ええっ」
 手元のスマートフォンに商品名を打ち込むとサジェスト欄に生産終了の文字が表示されている。
 一縷の望みをかけて検索ボタンを押すと、そこには数ヶ月前に生産終了した旨の情報が並んでいた。
「どうりで最近あんまり見かけなかったんだ」
 思わず頭を抱えてしまう。もうあの味を食べることができないなんて。
「本当にこれもらっちゃっていいんですか? 貴重な1個なんじゃ」
「いえ、生産終了のお知らせが出たときにまとめ買いしてるんで大丈夫です」
 彼女はわざとらしくきりっとした表情で、飴を返そうとした私の動きを押し留めた。
 それならばと絶対に噛まずに舐めきることを心の中で誓い、飴をポーチに仕舞った。別れを惜しむのは家に帰ってからゆっくりとしよう。
「今いろんな人にこの飴配ってるんですよ。そうすれば思い出してくれるじゃないですか」
 彼女はもう一つ飴を取り出すと、包みを開いて口に入れた。
 じっくりと味わうように一度目を瞑る。手元は小花柄の包装紙についた皺を丁寧に伸ばすよう動いていた。
 しばらくして、呟くように言葉を続ける。
「似たような味の飴は確かにありますよ。でも同じではないんですよね。形とか、溶け方とか、鼻に抜ける匂いとか。やっぱりなんか違うなってなっちゃうんです」
 ずっと食べ続けてきたからこそ、僅かな違いが気になってしまうのだという彼女の表情は、寂しさの中に誇らしさに似た感情が浮かんでいるように見えた。
 それから丁寧に伸ばされた包装紙を手のひらに乗せ、こちらに見えるように差し出される。
「この見た目も好きなんです。こんな可愛い包み紙のお菓子ってあんまりないじゃないですか」
「ああ、わかります。子どもの頃はこの包み紙集めてましたもん」
「あ、それ私以外にやってたって人初めてです」
 照れくさそうに実は今もちょっと集めてるんですよ、と彼女は続ける。動画サイトやsnsを参考にしながら小物を作ったりしているそうだ。
 見せてもらった写真に映る小物はどれもよくできていて、それをそのまま伝えれば、彼女は抱えた背もたれを左右に揺すりながら更に照れくさそうにしていた。
「いやあ仲間に会えてよかったです。折角なんでもう1つどうです?」
 魅力的な誘いについ伸びかけた手を引き戻し、そのままぐっと握り拳をつくってみせる。
「いや、頑張って店で探してみます」
「お、修羅の道を行きますね。私でさえ最近は全然見つけられませんよ」
「見つけたら1個あげますね。今日のお返しに」
 楽しみしてます、と笑って、彼女はカラカラと音を鳴らして元の場所に戻っていく。
 それを見送ってから急いで残り少ないお昼ご飯を食べると、ポーチからもらった飴を取り出す。
 家でゆっくりと味わうつもりだったが、話していたら今食べたくなってしまったのだ。
 包み紙を丁寧に剥がす。ふわりとバターが香るそれを口に入れれば、過去の記憶よりもずっと甘く感じた。

5/20/2024, 9:35:25 AM