ことり、

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小さな幸せ


「♪ バラに落ちた雨粒 子猫のひげ
輝く銅のケトル 暖かいウールミトン
紐で縛った茶色の紙包み
みんな大好き My favorite things…」

ミナミは、
映画「サウンド・オブ・ミュージック」の
名曲My favorite thingsを
呟きながら、3階の女子トイレの
個室に籠っている。外は雨。
季節外れのザーザー降りだ。

カタカタと震えが止まらない。
なんなら涙まで浮かんできそうだ。

「♪ 犬にかまれた時
蜂に刺された時
悲しくなった時
ひたすら大好きなものを思い出すの
そしたらそんなに悪い気分じゃ
なくなるわ…」

思い出せ、わたしの大好きなもの、
私を今アゲてくれる小さな幸せ、
My favorite things!

ミナミは仕事でミスをした。
それが何かはここでは触れまい。
とにかくいまのミナミには、
緊急避難的に小さな幸せが必要だった。

「い、いつもは買わない高めのチョコ
レースたっぷり女子力満載ハンカチ
とろける甘い推しの声
みんな大好き My favorite things…」

お、良い感じだ。

いつしかミナミは、歌いながら 
自分のオフィスへ足を運んでいた。

「♪雨に降られた時
ゴキに遭遇した時
辛いいまこの時

ひたすら大好きなものを思い出すの
そしたらそんなに悪い気分じゃ
なくなるわ…!」

そして奇異の目で見られながら、
隣のデスクの先輩に、ひれ伏しながら
あるものを渡した。

「先輩、すみませんでした!わ、悪気があったわけじゃないんです不可抗力で…」

その手にあるのは、先輩の大好きな
ゆるかわキャラクターのアクスタ。
無惨にも台座からもぎ取られたものを
なんとか補修したのだった。

「…何それ」
先輩は顔にハテナ?をいっぱい浮かべながら
そう言った。

「はっ!これ先輩の推しキャラじゃあ」

「違うわよ、姪っ子に押し付けられて
飾ってるだけ。あ、だから?
よくこのキャラのグッズくれるの?」

先輩アクスタを受け取りながら聞いた。

「あ、あたしもう先輩に殺されるかと
思って」
ミナミは早とちりにきづき、
顔を赤くしながらもじもじした。

「何言ってんのよ、
もし推しキャラだとしても殺さないわよ、
さあ早く仕事仕事!」

よ、良かったあ…。

雨の上がった窓の外で、幻のマリア先生が、
ニッコリ笑った気がした。


3/29/2025, 7:47:38 AM