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『何気ないふり』


気を遣っている事を、相手に気付かれてはいけない。

それは他人に気を遣う人生を送り続け、気遣いの到達点に達した私が見出した、一つのミニゲームである。

人に気を遣うという行為は、他者の意識に上がる前の、無意識が望んでいる欲求を、先回りして満たしてあげる行為に他ならない。

つまり、無意識が意識に上がるその寸前を貫くのだから、当然、相手の意識に気付かれない事も可能な訳だ。

さらにデメリットもある。
相手の意識に気遣いを捕らえられてしまえば、その意識が『気を遣わせてしまった』という思考を生み出し、気遣いが気遣いを誘発する。

それに対してこちらも『気遣いがバレて気を遣わせてしまった』などという、気遣いのスパイラルが発生してしまう始末。

そして気遣いをした、されたの関係が、両者の自明として把握される事は、後々の関係に歪みを起こす楔となりうる事もまた、問題点として挙げられる。

相手がこちらの気遣いを当たり前に思い出すと、横柄な態度の表出や、半奴隷的な対応に繋がりかねない。
あるいは気遣いをされているという意識が、申し訳なさや自己嫌悪を誘発するかもしれない。

故にこそ。
気遣いは、絶対に、バレてはいけないのである。


では具体的に気遣いを考えてみよう。


例えば
近くにいる誰かの両手が塞がっている時

否、それでは遅い。


誰かの手が塞がりそうな流れを先に察知し、その人物が荷物を手に持つ前に、扉を開いておくのだ。

そのまま自分は何気ないふりをして、一度廊下に出て電話をいじるといい。

そうすれば誰が扉を開いてくれたのかは分からないが、荷物を持つ当人は、特になんのストレスもなく部屋を出て荷物を運んでいく。

その影に、私という存在の気遣いと手助けがあった事など、知られてはいけないのだ。

知られる必要など、何も無いのだ。

誰に感謝されなくても、自分の存在が無視されていても。

私の行為は、まるで妖精が気まぐれに訪れたように、不可思議な出来事として、謎のままに終われば良いのだ。

それが、最も美しい。


以上が、自分を大切にする事を完璧に諦めた人間が、社会の中で最後に楽しむミニゲームの1つである。

気遣いを気付かせない事は中々に難しいが。

それでも暇な人間には、おすすめの娯楽だ。

最後に人を気遣うコツを一つ。


気遣いは、何気ないふりで。

3/30/2026, 11:19:57 AM