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ブランコ

 山際の小さな公園にブランコがあった。
 二ヶ月前にペンキの塗り直しをして見た目だけ新しくなったが、中々の年代物だ。

 小さな子供にとっては、生まれる前からあり、初めて遊んだときから鎖はキイキイと音を立てていたし、腰掛け部分はミシミシ言っていた。
 その公園しか知らない子どもは、何ならブランコとは「そういうものだ」とすら思っていた。


 小学生低学年までの子どもはルールに沿って楽しむ。

 それ以上の子ども達は、ブランコを危ない遊びに使いはじめる。

 一つ。靴飛ばし。
 深くこぎ、ちょうどいい時点で履いている靴を片方飛ばし、どこまで飛ぶか競う。飛ばす際に片足立ちになり、勢いをつけて蹴るような形になるため、そのままの勢いで踏み台を踏み外して転落する事故が起きやすい。

 一つ。ブランコで一回転。深く漕ぎ、そのまま支柱を中心に一回転する。転落事故の元であるし、一回転すると鎖も一回り支柱に巻き付き、安定性も極端に悪くなる。そもそも一回転できずに失速して転落するリスクもある。

 一つ。ブランコから飛び降り。深く漕ぎ、靴飛ばしの要領で「自分が飛ぶ」。もはや転落のリスクどころの話ではなく、自分から飛び降りる。着地に失敗すると、もちろん怪我をする。

 今回の話は、飛び降りの話。



 その日、小学校中学年の数人の男子が、度胸試しで順番にブランコから飛び降りをすることになった。

 理由はわからない。
 誰かが言い出し、度胸試しが故に「やめよう」と言えない。

 あとから聞いた大人にしてみれば、「『臆病だ』と言われても「やめよう」という勇気があることこそ本当の度胸なんだ。」とでも説教するところだが、そんな高尚なことは誰も思いつきもしない。

 ただ、断れば勇気がないと言われるのが怖い。
 あるいは、そうやって「つまらない空気を作ったから」グループから外されるのが怖い。

 今回、気弱で鈍いコタロウが断りきれなかった理由は、結局、「度胸がなかった」からであった。
 コタロウは気は優しかったが、同時に気弱で、運動神経も良くなかった。

 運動神経も気も強い「友人」たちが順番に飛んでいき、着地していく。

 終わった「友人」から「思い切りだ」と言われ、コタロウは言われるがまま、なんの心の準備もしないまま、飛んだ。

 この極めて危険な「遊び」は、危険な運動であるからして、怪我をせずに乗り切るにはある種の対応が必要だ。
 それは、言葉にするなら、「放物線はなるべく高くせず」「枠に足を取られないように」「足から着地する」といったところか。

 コタロウは何も考えず、思い切りだけで飛んだ。
 結果、飛び降りた際に腕を体の一番下にした体勢にしてしまい、左手から接地した。

 「痛い」
 飛んだことでグループから一定の評価は得たが、失敗である。
 そのまま次の子の番になっていた。

 コタロウはあまりの腕の痛みに、途中で家に帰ることにした。



 コタロウは腕を抱えたまま玄関の扉を開けた。
 腕の痛みに耐えかねて、そのまま玄関に座り込む。
「あんた、帰ってくるの夕方じゃなかったの。部屋、まだ使ってるんだけど。」
 3つ年上の姉からこちらを見ずに言われる。

 コタロウと姉は同じ子ども部屋を共有しており、姉が友達を呼んだときは、コタロウはよく家を出ていた。
 今日は友だちを連れてきていたようだ。
 子ども部屋は姉と友達の空間として占拠しているので、居間でテレビでも見ていろ、という意であったが、そもそもコタロウは腕の痛みでそれどころではない。

 玄関先で腕を抱えて声なく泣くだけであった。

「こんなんで泣くなんて今日は特に弱いわね。」
 いつも嫌なことがあると、気弱な弟に嫌味や口撃をする姉だが、今日は姉的にはそんな事は言っていない。

 繰り返すが、コタロウは腕の痛みで姉の心持ちなど考える余裕はない。

「?母さーん。コタロウがおかしい。」

 不審に思った姉が母を呼び、母は台所から手を拭きながら玄関に来る。

「コタロウどうしたの」

「腕が痛い」
 母は、コタロウの腫れた左手を見て顔色を変える。

「何があったの」
「ブランコから落ちた。手が痛い。」
 コタロウは病院へ行った。



 すぐ近くの外科に駆け込み、医者は腕をひと目見て言った。
「ああ、折れているね。」

 レントゲンをとり、シンプルな骨折であることがわかってからは、淡々とギプスをつくった。

 「まあ骨がくっつくまで二ヶ月くらいだろう」との診断であった。

 コタロウは生まれて初めての骨折で、この後の手が使えない不便が続く生活を想像できず、単に多少マシになった痛みに一息ついただけであった。
 コタロウは気弱だけでなく鈍い子どもであった。

 一方母は、今後の2ヶ月の間、息子をどうフォローしたらいいか、頭を回転させていた。



 次の日、学校に腕を吊って現れたコタロウに教室はざわついた。

 特に度胸試しをしたグループの男子達は、自分たちがやったことで気まずい空気になる。

 しかし、当のコタロウは気にせずグループに混ざった。

「いや、腕折れちゃってたよ。ノート書きにくくって。」
 
 コタロウは鈍かったっが、今は鈍さが幸いして、気弱だが、呑気で明るい状態に戻っていた。

 鈍さも武器だし、喉元過ぎれば熱さを忘れるのだ。
 骨折するより、いじめられたり、無視されたりするほうがこの年代ではつらいのだ。

 男子グループも、数分は気まずかったが、やがて好奇心からギプスの硬さを触ってみたりしているうちに、誰も気にしなくなった。


 公園のブランコは特にその後も変わりなく使われ続けていたが、数年後になにか別の事件でもあったか、老朽化のせいか、別の遊具と一緒に撤去されてしまった。


 昭和の時代の、放任の空気の中の話である。

2/1/2024, 10:23:58 PM