いもパイン

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涙の跡
涙は頬を伝い、やがて乾き、塩味のある結晶に変わる。その結晶の型は、想う感情により異なると言われている。嬉しければ円く、悲しければ角の鋭いものになるのだろうか。まぁ何でも良いのだが、持論に基づいて話をするならば、円い結晶を沢山生み出したいものだ。
 話は少し脱線するが、私は、人によって「優しさとは何か」という概念が異なることを少し前に改めて深く考えた。私は、父に「人にやられて嫌なことを人にやってはならない」とずっと教えられて育った。もちろん、自分がされてよければ、相手に同じようにしていいとは思っていなかった。自分より、相手の方が繊細であることに気を配る必要があるからだ。
 私は、父の言葉には、「人にしてもらえて嬉しいことは人にすべきだ」という意味も含まれているだろうと考え、両者を勝手に守ってきた。しかし、後者は「優しさとは何か」が人によって異なることによって、優しさが、迷惑や面倒臭さ、鬱陶しさに変わり、人を苦しめることを知った。少し考えてみれば、全部すぐに分かった話だが、このことを考え直せなかった。これは、良い人に思われたい、と本気で考えることがこれまでなかったことと、相手の発言の真相を軽く受け止め過ぎてしまっていたことが主な原因だと思う。自分の行いの悪さが、こんな大事なところで影響を及ぼしてしまうのかと悔やんだ。そして、自分の過ちに気づいてからは、心の底から申し訳ないと思っている。もう絶対に次がないよう、心に刻んだ。今はただ、己の未熟さに泣き、申し訳なく思うばかりだが、いつかは、またあの頃のように、円い結晶をつくりたい。ここで言っても仕方がないかもしれないけれど、あの時は、偽の余裕を見せたが、私は早く仲直りしたくて仕方がない。どうか、良い連絡が来ますように、とずっと祈っている。そして、直接すぐに言えず申し訳ないが、あの頃は本当にすみませんでした。この懺悔が少しでも功を成すと嬉しいな、と浅はかにそう思っています。

7/26/2025, 6:27:26 PM