“海の底にいるような感覚なんだ”と宣われたことを思い出した。
あぁ、そうなのか、と頷いてその場は進んだ。
しかしある程度経った今現在、本当に僕はあぁ、そうなのか、と思っていたのだろうと疑問を呈す。
“海の底”というのはまったく想像もつかない、が、学校のプールで溺れたことはある。運動神経の無い僕は当然泳ぎなどできるはずもなかったのだ。なんておそろしい教育なんだろう、“くろーる”とかちょうちょうとか訳がわからない。
腕の動かし方、脚の動かし方、息の繋げ方、何から何までわからないのだ。というか、泳ぐということがわからないのだ。教わっていないのだ。思えば体育というものは、全て教わっていないのだ。“わかって当然”というように始まるのが癪なのだ。
例えば数学などは、馬鹿でも理解できるよう根気強く丁寧に教える。しかしどうだ、体育という教科は、寧ろ馬鹿のほうが活躍しているではないか、全く以て意味不明である。ボールの投げ方なんて誰も教えてくれないとは流石に不親切でならないと思う。
明らかに僕に向けられていた体育教師の怒号の不穏と、彼女の憂鬱はイコールにはならない。だから、結局意味はわからないのだけれど。
彼女という人間の掴めなさは異常であった、若しくは僕の理解力の乏しさが異常であった。どちらかはさておき、少なくとも世間とは相容れない特性の持ち主なのは明白であった。どちらかはさておき。
彼女が沈む海の底で、僕は魚になりたかった。
しかれどもふと気がついた、彼女の海にはいつも既に魚が居て、その魚の行く先を、彼女は追い、泳げているふりをしていた。僕は深く失望した。それでいて、美しさを覚えた。
本当は、僕も魚に泳ぎを教わらないといけないんだけれど、誰も泳ぎなど教えてくれるはずもないのだ。四肢の動かし方も、息のしかたも、“わかって当然”だから
『海の底』
曖昧は泳ぎ方を知りません(´-`).。oO
でもビート板でぷかぷかしてるとおさかなさんみたいで楽しい、日焼けするから本当は屋内がいいんだけれど
1/20/2026, 11:38:27 AM