「無茶苦茶だな」
ファイルに目を通した後、冬玄《かずとら》はただ一言呟き、嘆息した。
どういうことかと視線を向ける燈里《あかり》と東に、冬玄はほんの僅か言いよどむ。それは二人に告げてよい内容なのか判断に迷ったからではなく、どう噛み砕いて説明するかを悩んだからだ。
「全ての元凶はあの人間の祖父の家なんだが、そこが代々執り行っていることが間違っている……いや、この家の憑き物筋という前提が間違っているというべきか」
「南も言っていたわ」
首を傾げ、東は言う。
「何がしたいのかよく分からないって。それから、燈里をしっかり守るようにって念を押されたわ。どういう意味なのかしら?」
「そのままの意味だ……憑き物が権力と富の象徴として扱われている所から、よく分からん儀式まで、全部が矛盾と妄想が入り混じって、訳が分からないことになっている」
「矛盾と、妄想?」
眉を寄せる燈里に、冬玄は手元のファイルを開いて見せる。
いくつかの写真と事細かに記された資料は、どうやら繩手《なわて》の祖父のいる村と屋敷について書かれているようだ。どこか寂れた感じのある村には、広大な敷地に建つ豪勢な屋敷は異様に見える。
富の釣り合いが取れていない。そう燈里は感じた。
「権力や富の象徴って言ってたけど、他の人からは妬まれたり避けられたりしなかったのかな?」
一般的に憑き物筋と呼ばれるのは、人の妬み嫉みなどの暗い感情が起因していることが多い。
憑き物を使役して、他者から財を奪っている。だから裕福なのだろうという僻みがあるからこそ、憑き物筋と呼ばれる家は忌み嫌われ、差別され、閉鎖的になっていくのだ。
しかし燈里の疑問に対して、冬玄は首を振る。資料のある一部を指さし、不可解だと言わんばかりに眉を顰めた。
「どうやら避けられるよりも、信仰に近い形で敬われていたらしい。この家の言葉は絶対で、何よりも尊ぶべきものだと思われていると資料にはある」
「認識を歪めたのかしら。村の人間全てに影響があるなんて、憑き物だとしても、とても力があるのね」
資料を覗き込みながら東は呟く。不思議そうに文字を追っているものの、その纏う気配はどこか鋭さを秘めている。
それに冬玄は気づいていたが、特に何かを言うことなく資料のページを捲った。
「まあ、そういう理由で、当然憑き物という象徴を家は失わないように模索する訳だが……その方法が、儀式というか呪法というべきか……よく分からない何かになっているな」
そこには白い壷と、同じように白い面の写真が添えてあった。
燈里の脳裏に、応接室で繩手が話していた内容が思い浮かぶ。
――蓋を開けて中を覗いてしまえば、もう戻れないんだ。
これが繩手のいう壷だろうか。
中には何が入っているのか。何のために用いられたものなのか。
資料を読み進め、書かれている内容に燈里は軽く吐き気を覚えた。
「これって……」
「燈里、無理に読まなくてもいい」
「そうよ、燈里。憑き物の一部を壷に入れて、それを一族の子供に覗かせて憑かせようとするなんて、読んでいてあまり気持ちのいいものではないわ」
憑き物の一部と書いてはあるものの、繩手に憑いているモノは女性だと書かれていた。
想像して顔を顰める燈里の背を東が撫でる。しばらくして椅子に深く座った燈里が深く息を吐くのを見て、冬玄は話を再開した。
「こういうものにはある程度決まった手順があるんだが、それをことごとく無視した方法だ。当然憑くことはないはずだが、どうやら奇跡的に憑いたらしいな。ここまでなら、まだ理解はできるんだが」
そこで冬玄は一度話を区切り、眉間にできた皺を伸ばすように揉み解した。
できることならば、ここから先の話は燈里に聞かせたくはない。だが巻き込まれてしまっている以上、対策を取る意味でも知らなければならないことでもあった。
冬玄の思いを察して、燈里は大丈夫だというように笑って頷く。右手の薬指に嵌る指輪に触れれば、冬玄もまた同じように指輪に触れ、続きを語り始めた。
「これは憑き物を広める目的で行われるわけではないようだ。憑いた子供がある程度成長したら、今度は逆に当主に憑くモノに与えるらしい」
捲られたページに書かれた内容と冬玄の説明に、東が不可解だと言わんばかりに眉を顰めた。
何度も資料を読み返し、それでも何一つ理解できなかったのか、答えを求めるように顔を上げて冬玄を見た。
「何なのそれは?与えて、戻すの?何のために?」
「さあな。憑き物の力を増すためや、人身御供のようにも見えるが、完全に憑き物筋の在り方から逸脱している……寄せ集めの知識で効果がありそうなものを試してみたと言われても、納得できる気がするな」
肩を竦め冬玄は答えた。資料を閉じ、今度は日記帳のあるページを開く。
「実際に、ほぼ攫われた形であの人間は当主の元へ連れて行かれたらしいな」
そこには酷く乱れた字で、文字が書き連ねてあった。
繩手の身を案じる言葉と、憑き物や書き手の父に対する憎しみ、恨みの言葉で埋め尽くされたページは見ているだけでも息が詰まる。
日記のページが捲られる。しばらく続く乱れた文字の羅列がページを捲る度に過ぎていき、あるページでそれは唐突に収まった。
――生き汚い男。あれだけのことがあっても、まだ生にしがみつくのか。
直前の乱れた字とはかけ離れた、丁寧に書かれた一文。
字と書かれた内容の差異に強い侮蔑や嘲笑を感じて、燈里は肩を震わせた。
「そこで何があったのかは分からない。だが、おそらくここで起きた何かが、後に憑き物を封じるという判断になったのだろう」
捲られた次のページには、書き手の困惑や不安、恐怖が綴られていた。
――女がいる。本当の化け物に成り下がったくせに、どうしても式貴《しき》から離れない……何で、どうしてこの子なのか。この子はお前のせいで誰よりも、ずっと苦しい道を辿ってきたというのに、まだ解放してくれないのかっ!
そこから先は、繩手と憑き物を切り離す方法を模索している文面が続いていた。
無茶苦茶だ。それが燈里の正直な感想だった。
聞きかじった知識を、情報の精査もしないで、繩手に試している。これでは書き手の父が行っていたこととさほど変わりはない。
眉を寄せる燈里を見て、冬玄は日記の最後のページを開いて見せた。そこには簡潔に、しかし安堵が滲んだような文面でこう書かれていた。
――時間稼ぎではあるけれど、封じてくれる人を見つけることができた。ようやく式貴を幸せにしてあげられる。
酷く穏やかな文字だった。
それが燈里には悲しく見えていた。
「これで封じられたのね。けれど時間稼ぎということは、最初から解けてしまう術だったのかしら」
「だろうな。時間経過か、それとも何か切っ掛けがあったのか。ともかく封が解けかけている状態で、燈里が巻き込まれている訳だ」
「困ったわね。大本を断てば、燈里は助かるのかしら」
そう言いながら東は冬玄からファイルを受け取ると、ぱらぱらと流し読んでいく。
ふと、ファイルから一枚の写真が滑り落ちた。足元に落ちたそれを、燈里は特に気にすることなく拾い上げる。
そして何気なく写真に視線を落とした時だった。
「――っ」
周囲から音が消えた。
弾かれたように顔を上げる。だがそこに冬玄や東の姿はない。
「――い」
目の前で俯いて座っているのは、見知らぬ女性。
長い黒髪。白装束から覗く細い手は鱗に覆われている。
「ゆるさない」
ゆっくりと、女性が顔を上げた。髪の間から見えるその肌も鱗に覆われ、強い怒りや憎しみを孕んだ金の眼が燈里を睨みつけている。
「ゆるさない……あの子を、苦しめる……」
ゆっくりと女性が立ち上がるのを、燈里は瞬きすらできずただ見つめていた。
体が動かない。視線を逸らすことができない。
向けられる強い感情に、呼吸すらうまくできなくなっていく。
「誰より……何より、優しい子……守る……ずっと、ずっと」
腕が伸ばされる。
その手が、燈里に触れる寸前。
「燈里ねぇ!」
強く腕を引かれ、視界を塞がれた。
しゃん、と、聞こえたのは錫杖の音。
視界を塞ぐ誰かの手が離れた時、そこには女性の姿はなく。
険しい顔をした、冬玄と東。そして腕を掴む睦月《むつき》と背後に立つ楓《かえで》が、燈里を見つめていた。
20260409 『誰よりも、ずっと』
4/10/2026, 6:18:56 PM