水白

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夜の海は好きじゃない。
あの人のようだと、思ったことがあるから。

ザザーン、と遠いようで近くの暗闇から波の音が聞こえる。
月明かりで薄ぼんやりと浮かぶ人影を見て、これは夢だと気付く。

「よぉ、久しいな」
「久しく感じるほど、ぼくのことなんて覚えてないでしょ」

砂が靴に入り込むのもお構いなしといった調子でザクザクと歩く音がして、椋の嫌いなしたり顔がはっきりと認識できた。
足元は裸足だった。

「幽霊ならもっと足音たてないで来たらぁ?」
「あ?生きてようが死んでようが足音なんてどうにでもできるだろうが」
そんなのはお前だけだ、と言ってやりたいのを飲み込む。

「てか、なんでわざわざぼくのとこに来たの?もっと会いたい人いないの?夢の中でまでとーじくんの顔見なきゃとか最悪なんだけど」
「命の恩人にひでぇ言いようだな?」
「命の恩人だろうが嫌いなものはきらい」
「俺はお前のこと結構好きだぜ?
なんせお前がピイピイ泣き喚いてたおかげで、あのクソの実家出るのが少し楽になったからな」
嘘つき。
ぼくが何しようと、家から出るのなんて簡単だったくせに。

男は傷のある口元を吊り上げて笑ってから、椋の横を抜けていく。
暗闇の方へと歩いていく足音はしなくなった。
代わりに波の音が近付いた気がする。

「アイツが世話になってるみたいだからな。ちょっとした挨拶だ」
「…そんなキャラじゃないでしょ」
「これはお前の夢の中なんだろ?じゃあお前が俺のことそういう奴だって思ってんだろ」
「ぜぇったいちがう!とーじくんなんて、子どもにも全く優しくなくて容赦なくて、底知れないやな奴だもん!」
「ハハッ、違いねぇ」
パシャリと波以外の水の音が跳ねる。
案外近くまで波が押し寄せてるのかもしれない。
でも、もう月の光は届かないから、わからない。

「じゃあな」


「じゃあね。もう二度と会いたくない」
椋は枕に暴言を、手向けの言葉にして送った。



【夜の海】

8/15/2024, 4:46:28 PM