【最悪】
雑居ビルの立ち並ぶ路地裏で、煙草を燻らせる。青空にのぼっていく煙をぼんやりと麻痺した頭で眺めていれば、不意に視界に影が差した。
最悪だ。慌てて吸いかけの煙草を靴で踏み潰したが、既に時は遅い。正面にあるその人の眉間には深い皺が刻まれていた。
勤務時間内にこんな場所でサボりの現行犯、しかも煙草まで吸っていたなんて、お堅いこの人は決して許さないだろう。怒号を覚悟したけれど、待てど暮らせどその人の声が俺の耳朶を打つことはなかった。
「えっと、先輩?」
さすがに居心地が悪くなって声をかければ、黙り込んでいたその人はゆっくりと瞳を瞬かせた。ぽろりと一筋、その眦から透明な涙がこぼれ落ちる。
咄嗟に空へと視線を移した。ああもう、本当に今日は厄日か何かなのだろうか。最悪にも程がある。
たぶんこの人は、一人きりで泣きたくて人気のないこの場所へ来たのだ。この人だって俺に弱みを握られたくはないだろうし、俺だってこの人の泣き顔を見るのなんてごめんだった。……この人にはいつだって強気でクソ真面目な恐ろしい先輩でいてもらわないと、こっちの調子が狂ってしまう。
「あーっと、今日無茶苦茶天気良いですよね」
青空に浮かんだ白い太陽を見上げながら、どうにかくだらない言葉を捻り出した。必死に頭を回して、適当な世間話を一方的に語り続ける。貴方の涙になんて気がついていませんって顔をして。
せっかく一息つきにきたはずだったのに、なんて。最悪なタイミングに心の中だけで悪態を吐いた。
6/6/2023, 1:19:07 PM