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「秋晴れ」

一昨年の秋、母が死にました。

病死でした。うちは母子家庭であり、女手一つで育ててくれた母は私の唯一の家族でした。母が死に、私は立ち直ることができずにいました。それからは、母の墓に通う日々でした。毎日のように通い、1ヶ月が過ぎた頃でしょうか。隣の墓にお参りをする女性の姿がありました。彼女は墓参りをさっさと済ませると、帰り道とは逆方向、森のある方へと歩き出しました。多くの墓の間を縫って、彼女の姿は遠くなっていきます。不審に思った私は、まさか墓荒らしなどではないだろうかと後を追いました。彼女は一切の迷いなく歩を進め、数多の墓を素通りし、その奥にある森へと姿を消しました。不審を通り越して不気味に思えた私は、何も見なかったことにして帰ることもできましたが、私の中に沸き立つ好奇心に抗うことができず、森へと足を踏み入れました。

森の中は薄暗く鬱蒼としていて、妙に静寂が際立ちました。森へ入るのを躊躇っていたために、彼女の姿を見失ってしまいました。湿った地面を踏み締め、彼女を探すために辺りを見回していると、一際明るい所がありました。見るとそこだけ木々が生えておらず、林冠が割れ、陽光が降り注いでいるようでした。私はその場所に近づき、息をのみました。
そこは一面、コスモスの花に彩られていました。陽の光に輝くコスモスの花々に、天国に来たような錯覚を起こしました。コスモスの海の真ん中で、天使が舞っていました。その天使は、こちらを向いて目を見開き、こう言いました。

「どなたですか?」

そこで私は正気を取り戻しました。いつの間にか私は彼女を凝視していたようでした。私は慌てて目を逸らし、
「あぁ、いや、森に向かうところが見えたものですから。」
たどたどしく返事をしました。それから、
「こんな綺麗な場所があったんですね。」
と、付け加えました。
彼女は頬を薄紅色に染め、優しい笑顔を浮かべました。
「そうでしょう?私が先約ですよ?」
彼女はくすすっと笑い、冗談です。と付け足しました。冗談を言う彼女を見て、話しやすい人で良かったと思いました。下の墓からついてきたのです。気味悪がられてもおかしくなかったでしょう。
それから私たちは、コスモスの花に囲まれて色々な話をしました。他愛のない話から始まり、次第に打ち解けて気が抜けた私は、身の上話までしていました。彼女は、赤の他人の話を親身になって聞いてくれました。日が傾き始め、当たりが暗くなりだした頃、彼女は立ち上がってこう言いました。
「明日もいらっしゃいますか?」
私が、「ええ」と答えると、彼女はにこりと笑って、
「ではまた明日。」
と、頭を下げて去っていきました。
翌日、彼女は約束通りやって来ました。二人で並んで墓参りをし、コスモスの海で談笑をする。そんな日々が日課となっていきました。
2週間ほど経った頃でしょうか、その日は彼女がいつもより早い時刻に立ち上がりました。
「今日はもう行かれるのですか?」
私は尋ねました。
「はい。それと、言っておかなければならないことがあります。」
彼女は続けます。
「明日からは来られません。」
すみません。と彼女はどこか悲しげな笑顔をつくりました。逆光で暗く見える彼女の背景には、秋晴れの空が眩しく輝いていました。

それから、本当に彼女は来なくなりました。私は彼女の名前を聞かなかったことを強く後悔しました。毎日、墓に来ては母のことばかり考えていたのに、墓にいても何をしていても彼女のことばかりを考えるようになりました。そうなってから、私は彼女に救われていたことに気づきました。墓参りの頻度は次第に減っていきました。精神的なものにより断念していた社会復帰も、果たすことができました。ですが、私の頭の片隅にはいつも彼女がいました。「もう一度会いたい。」そればかりがあるのでした。

やがて2年の月日が流れました。ある日、遠い親戚から突然の連絡があり、「もういい歳なのだから嫁を迎えなさい。」と、縁談をもちかけられました。
お見合い当日、私は適当に断るつもりで挑みました。ですが顔を合わせた瞬間、私は全身が固まりました。辺りの空間が一瞬にしてスローモーションになり、私の目は彼女に釘付けでした。そのお見合い相手というのが、墓で出会ったあの女性でした。この驚きは、彼女も同じく感じたようで、お互い目を見開き見つめ合うという異様な状況を作りあげたのでした。
先に動いたのは彼女でした。彼女は自分の父親の方を向き、
「お父さん、私この方とお付き合い致します。」
と言い放ちました。父上は驚いておられるようでした。

その後は、2人でお話をしました。今度はお互いに名乗り、彼女の身の上話も聞きました。
「またお会いできて嬉しいです。」
「私もです。」

庭では秋晴れの空の下、コスモスの花が揺れていました。

10/18/2024, 9:50:11 PM