#103 はなればなれ / たそがれ(10/1)/ 通り雨(9/27)
もっと人の世の境界が曖昧であった頃。
都に、刀に憧れるおなごがおりました。
当時の刀は造るも振るも男の道。
それでも未子の娘に甘い鍛冶屋の父と道場に住み込みの次兄は、小さい子の言うところだからと、したいようにさせていましたけれども。
やはり、色んな意味で力の弱いおなごには大変厳しい夢でございまして、
ある日とうとう、見かねた母が言いました。
「そろそろ刀はやめて、娘らしく大人しゅうなさい。このままでは嫁の貰い手がなくなってしまうよ」
暇があれば鍛冶場に入り浸り、そうでなければ刀を振るようなおなごでは、とてもとても、と。そういうわけです。
いつか言われる日が来ることは、おなごも頭では分かっていたけれども。まるで自らの肉体と魂を離ればなれに引き裂かれるような心地に、おなごは泣きながら家を飛び出してしまいました。
泣いて走って、走って泣いて。
さすがに疲れ果てて自然に涙も乾いた頃には。
「ここ、どこ…?」
広い都のこと、気づけば右も左も分からぬような通りに立っていたのであります。
現代に比べて灯りの弱く少ない時代ですから、
日の傾くとともに暗くなっていきます。その早いことといったら。
雲のない夕暮れの、その終わり。
空の端に赤が残るものの、
もう互いの顔も見えない。
それが、たそがれの時でございます。
おなごが心細さに顔を俯け、白いうなじが晒されますと、
そこを目掛けて、ひと雫ぽたり。
「雨?でも雲は…」
ハッと顔をあげれば、
不思議なことに人通りは既になく。
ぽつり、ぽつりぽつりと増えていく雨が、
女子の着物から心にまで、恐れと共に冷たく重くしみ込んでいきます。
言い知れない何かを感じたおなごが後ろを振り返りますと、少し離れたところに長身の男が立っておりました。
雨と日没で顔は見えず、しかし立ち姿に気品があり、美丈夫であるように感じられました。
「あなたさまは…」
「迷子か」
短く男が問いかけました。
「恥ずかしながら…でも、まだ帰りたくないのです」
「ふん…心も迷子とみえる」
「母に、女に刀の道は成らぬと。しかし私には、魂が求めるものを離すことができないのです」
本来ならば女子にとっても家にとっても恥である夢を、この男には素直に話してしまいました。
しばらく、沈黙が流れていきました。
やがておなごの視線が男から足元へ下がり、やはり諦めねばならないのか、と心の中で問いかけたときでございます。小さくではありますが男から声がかかりました。
「…は、なれば、なれ」
「え?」
「お前は…なれば、なれと言ったのだ。お前は、刀を捨てたくないのだろう?なれば、おれの嫁になれ。おれは人の世とは異なる処にいる。故に刀の道に進もうが咎める奴などいない」
驚きに再び視線が男へと戻りました。
突然の求婚、しかも人の世と違うとは何のことでしょう。
じっと見つめてもおなごからは顔が見えません。だからこそ男の話が実感としておなごの中に入ってくるのです。
(選ばなければいけない…人か、刀か…)
「なれば…」
(お父様、お母様、兄様たち、ごめんなさい、ちよは、ちよは…)
「そこに刀があるのなら、なります。あなた様の嫁に」
「よかろう、名は」
「ちよにございます」
「ちよ、千夜だな、良い名だ。じっとしとれ」
男は、無造作に近づいてきました。ちよの避ける間もありません。このまま家族とは別れかと、ぎゅっと目を瞑りましたが。
「迎えに来る。家のものと別れを済ませておけ」
ふうっ。
感じたのは、位置的には男の吐息なのでしょうが。
それにしては湿りの無い風が、雨でじっとり重く濡れていた髪をさらり、と揺らしたのでごさいます。
慌てて目を開けると、男もなく雨もなく。
ちよの髪も着物も、先ほどまで濡れていたとは思えないほど乾いています。
それだけなら、日暮れの通り雨が見せた夢か幻かといったところでしたが。
男の迎えに来るという言葉。
何より、いつの間にか小指に巻き付いた赤い糸。
それが、ちよをごく弱い力で引っ張っているのです。まるで、道を教えるように。
これに従えば家に帰れるのでありましょうが、
同時に人の世との別れの道にございます。
しかし、ちよは迷いなく糸の示すとおりに歩き出したのでありました。
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語り口が統一できてなかったので修正しましたが、
昔話風の三人称風になりました。難しいですね笑
11/17/2023, 1:32:52 AM