香草

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「君の目を見つめると」

ふわふわとした春の陽光で踊るかのように湯気が立ち昇る。
そのうちウサギとかウマの形になるんじゃないの。
そう思っているうちに、だんだんと上を向いて羽を広げた鶴のように見えてきた。
そういえば、雪景色と鶴ってイメージがあるけど、春はどこに行くんだろう。
考えていると、鶴は消えて、次は植物のゼンマイが見えてきた。
ゼンマイは確かに春だな…
「ねえ、聞いてるの?」
少し薄くなった湯気越しに彼女がぼんやりと映る。
頷く代わりに、コーヒーに口をつけた。
あまりの熱さに目が覚めて、現実が流れ込んでくる。
火傷した舌を庇うように丸めつつ、彼女の目を見つめた。

これで最後なのかとため息をついた。
同時に彼女を失いたくないと、その時初めて思ったが、盤面はすでに王手をかけられていて、僕は彼女の申し出に頷くことしかできない。
「連絡先は消してね」
まるで、なかなか言うことを聞かない子供に怒鳴る寸前の母親のような圧だ。
その迫力に負けてつい、目を逸らしてしまった。
しかしすぐに勿体無いと思い、視線を戻す。
いつにも増して星が輝いていた。
店の外はスコンと抜けるような晴天なのに。

出会った頃は、なかなか目が合わなかった。
女子校育ちらしく、男性に慣れてないから、と恥ずかしそうに言い訳をする彼女が初々しくてたまらなかった。
彼女の目が美しいと気付いたのは初めて喧嘩した時だ。
怒っている彼女の目は、まるで星が埋め込まれたかのように煌めいていた。思わず見惚れてしまって「聞いてるの!?」と余計に怒らせてしまったこともある。
正直、喧嘩の時間も嫌いではなかった。
その時だけ、僕は星を見ることができたのだから。

いや一度だけ、喧嘩ではないときに星を見た。
彼女の誕生日を初めて祝ったときだ。
柄にもなく、サプライズを計画し、ホテルに泊まった。
誕生日プレートが運ばれてきた時も、ベッドの上の花束を見つけた時も、明かりを消したあとも、彼女の目はずっときらめいていた。
視線は合っていないのに星が見える、と不思議に思ったのを覚えている。
いや、待てよ。そういえば彼女の涙を見たことがない。
「じゃあね」
いつのまにか、彼女のカップは空だった。
伝票を持って足早に去っていく。
そうか。
僕はぬるくなったコーヒーを一口飲み、ソファに沈み込んだ。
そうか。
自分の鈍感さはある程度自覚していたが、これほどまでに恨めしく思ったことはない。
せめて春でよかった。


4/6/2026, 2:13:48 PM