白井墓守

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『あなたに届けたい』

あなたに届けたい言葉がある。

○○○

「人間っていうのは、どうしても分かり合えない生き物よ」
「おいおい、いきなりどうしたよ。お嬢ちゃん」

小さな小さな小学生ほどの可愛いレディでぷっくりと頬を膨らませている。
四十を超えたおっさんは、それを若いなぁと思いながら怪我をしたデコに絆創膏を貼ってやった。保険医である務めだ。

理科の先生と間違えられるグシャグシャの白衣を引っ掛けながら、おっさんは甘いココアを淹れてやるために台所に立った。

「ねぇ、知ってる先生? 人間っていうのは、その人を理解したと思ってもそれは90%が幻想で。どんなに親しい仲でも、半分ほどしか結局は理解しきれないものらしいわ!」
「おうおう。お嬢ちゃんは博識で、おっさんは頭が下がるねぇ。ほら、ココア……熱いから冷まして飲めよ」
「どうもありがとう! いただくわ!!」

ふーふーと素直にアドバイスを聞きながらココアを冷まし、んくんくと美味しそうに飲むお嬢ちゃんの姿に頬が緩む。

「喧嘩、したんだろ」
「わたしは悪くないもの……本当よ」
「そうか、そうか……そうだなぁ、お嬢ちゃんはいつも素直で優しくて賢いもんなぁ」
「そうよ! わたしは立派なレディを目指しているんだから!」

お口にヒゲを作ったまま、ふふんと自慢げな顔をする。その姿はまるで宝物を自慢する子りすのようで、愛らしい。

「友達……嫌いなのか?」
「……いいえ。嫌いじゃないわ、でも……許せなかったの」
「許せなかった?」
「あの子なら分かってくれると思ってたのに、なんで、どうしてって……ねぇ先生。仲がいいと思っていたのは、わたしだけだったのかしら。わたし、わたしは……」

そういうなり、お嬢ちゃんは手の中をココアが入ったマグをジッと見つめながら黙り込んでしまった。
マグカップを握る小さなお手手が、強く握られ指先が白いなっている。

酸いも甘いも噛み分けて枯れ気味のおっさんからしたら、甘酸っぱい青春過ぎて少し食傷ぎみで目に眩しい。
おっさんは碌でもない大人だ。
朝に酒は飲むし、いつも白衣はグシャグシャだし、よく就業中に昼寝とかする。あと野良猫や小鳥に勝手にエサもやる。
だけど、しょんぼりした小さなレディを笑顔にさせたいと思うぐらいには、ちゃんと大人だったようだ。

「お嬢ちゃん」
「なぁに、先生」

「君に、届けたい言葉がある」
「届けたい、言葉?」

「ーー思ってるだけじゃ、伝わらないよ。言葉にしなくっちゃ」
「…………」

お嬢ちゃんは、おっさんの言葉に目をぱちくりとさせていたかと思うと、手の中にあるココアの水面に映る自分の顔と数秒見合わせて、なにか覚悟を決めたように頷いた。

「ありがとう、先生。わたし、もうちょっとだけ、あの子と話してみるわ! きっと、それが立派なレディだと思うから!」
「おうよ。お嬢ちゃんなら、大丈夫だ」
「ええ! ……でも、もしダメだったときは、またここに来ても良いかしら……?」
「もちろん。そのときは、とびきり美味いクッキーも出してやるよ」
「あら、ありがとう! それでは。ごきげんよう!」
「ごきげんよー」

とたたたた、と軽やかな足取りで去っていく姿。

「思ってるだけじゃ伝わらないよ、か。まったく、どの口が言えたもんかねぇ……」

ーー君は、本当はおっさんの娘なんだよ。なんて。

あなたに届けたい言葉がある。
でも、それを敢えて俺は仕舞い込むことにしよう。
……今は、まだ。

おわり

1/31/2026, 5:43:00 AM