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「おはよう、今日は13時にね」

気だるげな空気の中、
起き抜けのボヤけた頭は途端にピンク色に染った


冴えきった視界で洗面台に行って顔を洗い、
いつもと変わらぬ自分の顔にさらりと化粧を施し
朝の1杯を入れる前に返信をする

すると返事はまたすぐに来た

「これから娘をテニスの試合に連れていくから」

この1文の重さに私の全身は脱力した

何を返そうか迷って、迷った挙句
スマートフォンをスリープモードにし
落ち着きのための1杯を注ぐ

今日はアールグレイ、
1人分の湯気と華やかな香りが1Rに立ちのぼると
私の頭はその中に彼女の姿を見る


広々とした朝のキッチン、
彼女の手に馴染んだ白い食器類、
その上にのせられたフレンチトースト、目玉焼き、ベーコン、サラダ
階段から降りてきたセーラー姿の
純真な少女が
眠たい目をこすりながらダイニングチェアに腰掛け
あまりに無邪気に、性急に
当たり前にそれらを口に運ぼうとするのを
愛しいあの人がただ見つめている
ふと
むせ返るような幸福の匂いに吐きそうになって
私は湯気ごと入れたばかりの紅茶を全て流してしまった

「いつも通り16時までなら一緒にいられる」

おもむろに光った画面にはそう表示されていた

わずか3時間、
たった3時間か

私はあの人の
母親としての手に、
女としての肌に、
3時間の中の何分何秒触れられるのだろう

24時間のうちの21時間は
娘と旦那のために捧げられるあの美しい手を思い浮かべながら、
私は自分の手を見つめた
まだあの人の半分ほどしか生きていない
未熟な手

白くて細くて浮いた血管がみすぼらしく
初めてあの人に触れた時、
私は自分の手の頼りなさに絶望したものだ

これに触れる資格はお前にはない、
神に、旦那に、この腹から出でた娘に
この社会にそう言われている気分になった
でもあの人はそんな私の手の甲を撫でてくれた
頭に手を置いてくれた

だから罰当たりでも構わない
ハナより社会からすら認められていないのだ、
彼女に認められるのなら
世界に認められなくてもいい

月に2回、土曜日
娘の部活と旦那のゴルフの間の3時間だけ
私だけの天国を求め続ける


この道の先に待つのが崖だとしても
私は歩めるだけ、
あの手を取って共に歩くつもりだった

例え崖の淵で手を振り払われて
私だけ落ちることになったとしても
愛情の余韻に包まれていけるはずだから

7/4/2024, 5:17:08 AM