『この場所で』
生きている。僕はこの場所で生きている。それは変え難い真実のはずだ。それが嫌ということはないし、嫌なことがあるのは自分から出た錆であることくらいは、重々承知しているつもりだ。
それでも、ふと視線を上げれば、六畳間の窓枠にはいつもと同じように西日が差しているし、読みかけの文庫本は机の上で開かれたまま、僕の帰還を待っている。
「この場所」とは、単なる緯度経度で示される地点のことではない。僕が吸って吐いた息の蓄積であり、選び取ってきた、あるいは選ばざるを得なかった無数の選択肢が積み重なってできた、地層のようなものだ。
錆びついた部分があるのなら、それもまた一つの味わいとして、今の生活に馴染んでいる。美化するつもりはないけれど、この雑然とした部屋の空気は、案外、僕の肌には合っているのかもしれない。
ここから逃げ出したいと願う夜もある。もっと広い世界、もっと鮮やかな景色がどこかにあるはずだと、地図アプリを眺める日もある。けれど、結局のところ僕は、ここでお湯を沸かし、コーヒーを淹れ、今日という日を閉じるのだ。
その繰り返しが「生きる」ということなら、悪くない。そう思えるくらいには、僕はこの場所に根を下ろし始めている。
2/12/2026, 8:12:13 AM