明日にはいない人

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人生の岐路なんて、いくつもあった。

一番最初の岐路。

私にとってのそれは本との出会いだ。幼い頃から家にあった分厚い辞典を眺めるのが好きだった。文字の意味はわからなくとも何度も何度も見返すほど気に入っていた。

小学生になり、文章が読めるようになってからは学校の図書室の常連だった。

初めは低学年向けの絵本などを読むことが多かったが次第に物足りなくなり、小学3年生で高学年向けの本棚から本を探すようになっていた。

そこで出会ったのが「ダレン・シャン」だ。皆はこの小説を知っているだろうか?本の題名も「ダレン・シャン」、著者の名前も「ダレン・シャン」なのだ。

不思議だろう?

その上、書き出しもまるで自伝のようなものだから当時の私は本気でヴァンパイアが存在するのではと思ったほどだ。(ダレン・シャンはヴァンパイアの物語)

まあ、内容には触れないがとにかく私はこの「ダレン・シャン」がきっかけで読書の世界に深くのめり込むことになった。

それ以来、本を読まない日はないと言ってもいいほど毎日、本を読んだ。

当時、私が通っていた小学校の図書室は一度に借りれる本は3冊までだった。期限は1週間。私は数日おきに頻繁に借りては返却してを繰り返していた。

そんなこんなで小学校高学年に上がった頃、担任が変わりとあるルールが追加された。

その先生は読書を推進しており、宿題の漢字ノートを10ページ書くごとに図書室で本をプラス一冊借りれる券を作ったのだ。

その結果、普段は宿題を忘れて頻繁に怒られていた私は漢字ノートだけは提出率が高くなり、なんなら1日に2ページ3ページ書くこともあった。

本を読みたいがために私は漢字ノートだけはちゃんと書き続け、結果としてかなりの頻度でプラス一冊借りれる券を手に入れていた。この券のために頑張っていたのは同学年でも私ぐらいだったろうと思う。他の人が券をもらうのを見たことはあるが、正直、使っているのを見た記憶がない。ちなみに、自分は使わないからと譲ってもらった記憶はある。

と、まあ当時の私は本当に本を読むのが好きだった。中学に上がってからは授業中もこっそりと読んでいたぐらいだ。急にクラスが静かになったと思えば先生が真隣に立っていた、、、なんてことがよくあった。しかし、不思議と強く叱られたことはない。

今は昔ほど読書にのめり込んでいるわけではないが、それでも本を読むのは好きな方だ。

子供の頃、家にあった分厚い辞典。今読んでもぶっちゃけ理解できないぐらいの高度な内容の本なのだが、意味がわからなくとも当時から本に興味があったのだろう。


家にその辞典がなければ、、

学校の図書室に「ダレン・シャン」がなければ、、

もしも、「読みすぎだ」と誰かに怒られていたら、、

なんだかこういったIF世界線はSFにありそうだと思ってしまうのは読書家あるあるではないだろうか。

とりあえず、読書が嫌いな私なんて想像すらできない。自分を形作った物が無くなったとしたら、他の物で代用しているのだろうか?それとも空っぽのままよく分からない人生を歩むのだろうか?

結論。私は、これまでの岐路について「今生きているのならばそれらはすべて必要だったのだ」と思うことにしている。

6/8/2024, 10:44:11 AM