白月 翠-シラツキ スイ-

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『桃ジャムのおまじない』

私の祖母はジャム作りの名人だった。祖母の手作りジャムはどれもこれも絶妙な甘さとフルーティーさが最高のハーモニーを奏でていて、スーパーやパン屋で売られているジャムとはまた別格の美味しさがあった。

特に私は祖母が作る“桃ジャム”がお気に入りだった。元々私の大好物が桃だったからという理由もあるが、お気に入りとなった最大の理由は祖母が初めて桃ジャムを作ってくれた時のお茶目な一言が印象に残っているからだと思う。

「この桃ジャムにはね、特別なおまじないをかけてあるんだよ。おばあちゃんの大好きなちぃちゃんがこのジャムを食べたら、たちまち笑顔になるおまじないがね?うふふ。」

祖母のその言葉は確かに現実のものとなった。当時の幼い私が初めて桃ジャムをトーストに塗って一口食べた途端、口いっぱいに広がる大好きな桃の味に幸福感を覚えて笑顔になったものだ。だから、その頃は祖母のかけたおまじないというよりも美味しい桃ジャムの味で笑顔になったのだと考えていた。

だが、今となってあのおまじないの効果は“祖母がいた”からこそあったのだろうと考え直している。何故なら桃ジャムを食べている間、祖母は安らかな瞳で私を見つめながら温かな手で頭を撫でてくれていたから。きっと私はその心地よい祖母のスキンシップにも幸福感を覚えていたからこそ笑顔になれていたのだ。

──現在もう祖母はこの世にはいない。半年前に老衰で亡くなってしまったからだ。

そして、今。私は祖母の家の遺品整理で見つけた桃ジャムのレシピを使い、あの桃ジャムを再現しようと台所で奮闘していた。

桃、砂糖、レモン汁。準備するものは至ってシンプル。桃の皮を剥いて切り分けて鍋に入れ、砂糖とレモン汁と共にグツグツと煮詰める。出来上がれば冷蔵庫で冷やし、後はお好みでトーストやスコーンなどに塗って食べる。たったそれだけだ。もちろん祖母と同じ様におまじないもかけてみた。笑顔になる対象は自分自身になったが。

そんなこんなで何とか桃ジャムを完成させた。初めて作ったにしては焦げもなく上出来だった。事前に準備しておいたトーストに桃ジャムを塗り、早速一口頬張ってみる。

…しかし、どうしたことだろうか。笑顔になるどころか、あまりの懐かしさに思わず涙がポロリポロリと落ちてきてしまう。嗚呼おまじないは失敗のようだ。それに上手に再現出来た筈の桃ジャムも段々としょっぱく感じてきてしまった。

「っ…あのおまじないは、本当におばあちゃんにしか使えない特別なおまじないだったんだね。」

私はもう祖母が亡くなって半年も経つのに、今だにその悲しみと虚しさからは解放されていなかった。だから久しぶりに桃ジャムのおまじないを使って笑顔になれないものかとやってみたのだが、そんな幼稚な考えはあっさりと崩れてしまった。

もう一度祖母に会いたい。また桃ジャムのおまじないをかけてほしい。そう願いながらも実現することはないと分かっている。やはりこればかりは時間が問題を解決してくれるのを待つしかないのだろう。

私は泣きながらも早々にしょっぱいトーストを食べ終えてしまえば、作った桃ジャムを冷蔵庫へしまって後片付けをしていく。その間も私の脳裏には祖母の穏やかな笑顔と頭を撫でてくれたあの優しい手が浮かんでいた。

3/14/2023, 4:48:45 PM