私は今日、少しだけ憂鬱だった。面倒な授業も課題も無い楽な一日になるはずだったのに、ザーザーと降り頻る雨が全てを台無しにしたのだ。
いや、雨が嫌いというと語弊がある。どちらかと言うと私が嫌いなのは、雨で濡れそぼった靴や鞄で清潔で有るべき床が汚らしくなることだ。雨の日の床はただ濡れているだけでなく、日頃目立たない細かなゴミや、靴についてきたのであろうゴミがうっすらと浮かび上がっているのが大変不愉快だ。
また、交通機関、特にバスの中はより悲惨だ。床の惨状は言うまでもなく、ほんのり湿った人々と狭い空間でみっちりおしあうことになるのだから。
しかし、雨天にも褒めるべきところはある。その中でも特筆すべきは、その内省を促すようなしっとりとした空気感だろう。雨が降ると、意識まで自然と内面に向かう。カラッとした晴天の下では決して考えないような物思いに心置きなく耽ることができるのは間違い無く雨の持つ湿り気のお陰だろう。
しかし、悲しいことに、雨だろうと変わらず行くべきところに行き、晴れの日と変わらぬ仕事を求められる現代社会では、そのような物思いになんて耽る余裕も無い。雨天の内省を奪われた人々。私はそれ故に、こんな素敵な空気もろくに吸わず、ため息を吐いたのだ。
4/23/2026, 8:36:04 PM