その日、嫌な夢で目が覚めたかと思うと、喉奥から込み上げてくる異物感に慌ててトイレに駆け込んだ。
一度喉を滑り落ちてしまうと、それはもう制御できず、自分の意思とは関係なく何度も何度もせり上がってくる。
びしゃびしゃと打ち付けられる水音に気分が悪くなり、更にえずいた。
もう何も出てこなくなっても、食道の辺りがひっきりなしに収縮を繰り返し、えずくたびにギリっと痛む。
…うっ、おぇ。
最後に小さくえずくと、吐き気が少し引いていった様な気がした。その隙に枯渇した酸素を求め浅く呼吸を繰り返し、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をトイレットペーパーで拭う。
ハァ、ハァ…。
参ったな。変な物でも食べたのだろうか。
便器にしがみついていた手を緩め、視線を下に下ろしたまま右手で水洗レバーを引き、吐き出したそれらを流した。まだ少し吐き気の残る体で立ち上がると、視界がぐらっと歪む。
ガン、と後頭部を強打したかと思うとバランスの取れなくなった体はトイレの狭い空間で左右に何度か揺れながら床に沈んだ。
どれくらいそうしていただろうか。体の痛みと寒気、おまけにひどい頭痛。こんな体調が悪くなる事なんて小学生以来ではなかろうか。
ピピピ、ピピピ…
ドア越しに聞こえてくる微かなアラーム音にハッと我に返ると、這うようにベッドに戻り、もぞもぞと毛布にもぐっていく。
寒い。気持ち悪い。体全体が痛い。
ベッドサイドの引き出しを弄り体温計を引っ張り出すと、数秒後に表示されたのは"38.5"の文字。そりゃ具合悪い訳だ。
しばらく横になっていると少し気分が良くなった気がしたが、起き上がろうとするとズキッとした痛みが身体を刺した。
今日は休もう。連絡を入れなくては。そう思って携帯を手に取るが、画面を見ると先程の強烈な吐き気がぶり返してきて、だめだった。もう部屋を出なくてはいけない時刻だったが、寝返りすらままならず、ただただ体の不快感に耐えていた。
──────
「おーい、傑。寝てんの?時間過ぎてんぞ。」
そう言ってガチャリとドアを開けると、隙間から悟がひょこっと顔を出した。いつもなら、ノックしてから入るのが礼儀だろ、と正論をぶつけていたが、それすら出来ず、顔だけ悟の方に向けた。
「…入ってくるな。」
そう、強がって言うのが精一杯で言葉が続かない。
それ以上近付いたら確実にうつしてしまう。お願いだからそのまま戻ってくれ。
そんな傑の思いとは裏腹に悟は傑の部屋にズカズカと入ってくると、徐に携帯を耳に当てる。
「あ、硝子?うん、そう。傑部屋にいたわ。具合悪いっぽいから今日休むって夜蛾センに言っといて。」
端的に状況を伝えると、携帯をパタンと閉じてベッドに腰掛けた。
「何が欲しい?」
「なんか冷たいやつ…。」
「おけ。」
風邪の時は心が弱くなるのだ。先程まで強がっていた気持ちが、どこかに消えてしまったようだ。
悟が持ってきてくれた氷嚢を頭に当てるとひんやりとして気持ちがいい。
悟の存在に安堵し、少しだけ気分が良くなった気がする。
「…ありがとう。」
「いーえ、どういたしまして。」
そう言うと髪の毛をサラッと撫でる。
「こないだのこと忘れてないかんな。俺が風邪ひいてんのに襲いやがって。」
「あ…あれは…。」
「仕返し。」
そう言い、おでこに優しく口付ける。
「俺は最強だし優しいからな。今日はこれで許してやるよ。」
劣情に抗えず、欲を吐き出した自分とは比べ物にならない程、余裕がある。格の違いを見せつけられたような気がして、とてつもなく恥ずかしくなった。
「風邪治ったら、今度こそ仕返しすんかんな。覚えとけよ。」
悟は、アハっと笑いながら、乱れた毛布をかけ直して、頭をポンポンと叩く。
「本当君には敵わないよ…。」
傑もまた力なく笑い、安堵から訪れた眠気に身を任せ、静かに瞳を閉じた。
12/16/2023, 3:06:55 PM