ひと

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力を込めて


「俺の力込めといた。」
ぶっきらぼうに言い放ち、俺は少しぬるくなったスポーツドリンクを差し出した。


その子は同じ学校で同学年だが、クラスは一度も一緒になった事がなかった。部活の時間に顔を合わせるくらい。更に思春期真っ盛りの俺たちは、女子と必要最低限しか会話をしなかったので、正直彼女とはあまり話した事もなかった。
ただ、知っているのは、走る事が好きなんだろうなって事だけ。
ひたすら前を見据えて走る姿は、俺の目にはいつも輝いて見えていた。


中学最後の大会。
この3年間の集大成を表す最後の100メートル。
決勝まで進んだ彼女の背中には、予選で敗退した俺なんかには分からないほどの重圧が乗っているんだろう。
ひたすらにトラックを見つめている彼女を何となく眺めていたら、その身体が震えているのに気がついた。
いつもならそこで終わっていたが、その日は何となく声をかけてみようと思った。
「緊張してんの?」
彼女は突然の問いかけにびくりと肩を震わして、こちらを向いた。こんなにしっかりと目が合うのは、初めてかもしれない。
「山田君か…びっくりした。」
「驚かせてごめん。なんか緊張してんのかと思って。」
「そりゃ緊張しまくりだよ〜!最後なんだから。」
彼女はいまだに震える手を俺に見せると、ほら、と笑って見せた。
「カッコ悪いよね。今までこんなのなった事なかったのに…」
少し泣きそうな声で呟く彼女を励ましたくて、咄嗟に持っていたスポーツドリンクを差し出した。
「俺の力込めといた。」
「へ?」
「お、俺の力込めといたから、これで緊張なんて吹っ飛ぶはず!」
今思えば我ながら恥ずかしい。
けれど、この時は目の前の彼女をどうにか勇気付けようと必死だった。
「だって俺この3年間緊張したことねぇし!」
決め台詞を言った所で、限界に達したのは彼女だった。
「ぷっ、あははは!」
「な、なんだよ!」
「うんん、ごめん、面白くてっ」
中3男子の健気な心遣いを笑うなんてとも思ったが、そんな事より、彼女の笑顔に釘付けになった。
走っている姿と同じ、いや、それ以上に輝いて見えたからだ。
「…、そんだけ笑えりゃ大丈夫だろ。」
「うん、ありがとね!」
ちょうどそのタイミングで、女子100メートル決勝の選手を招集する放送が流れた。
彼女は受け取ったドリンクを大事そうに抱えると、軽やかな足取りで俺の横を通り過ぎた。
「あ、ねぇ、山田君!」
少し離れた場所で振り返って俺の名前を呼ぶと、彼女は先程のドリンクを掲げて、悪戯っぽく笑う。

「飲みかけ、いいの?」

思春期真っ盛りの男子に対して酷いからかいだ。
俺は急激に顔が赤くなるのを感じた。
「う、うるせぇバカ!!早く行けよ!!」
小学生並みの語彙力で対抗する俺を、彼女はもう一度おかしそうに笑うと、そのまま今度は振り返らずにトラックへとかけていった。


ーーーーー
ーーー
ーー

「そんな事もあったよね。」
「俺は知らんそんなの。捏造すんな。」
「え、ひどーい。私たちの大切な出会いなのに…」
真っ白のドレスに身を包んだ彼女が、頬を膨らませて睨んできた。
「準備できたか?俺は先に行くぞ。」
「もう!どーぞお先にっ!」
「あ、」
「?」
「忘れてた。これ、俺の力込めといたから。やるよ。」
あの頃と同じドリンクをポンと投げ渡した。
「!!」
見事キャッチした彼女は、みるみるうちに目を潤ませる。
「なに?」
「……っ、飲みかけ、いいの?」
あの時と同じ問いかけ。少し胸の奥が熱くなるのを感じた。
「うるせぇバカ。…早く来い」
今回もうまく返せなかった。
けど、それでも君は、あのキラキラとした笑顔で、俺の手を力強く握った。

                      END.

10/7/2024, 4:56:40 PM