立ち上る白の煙。青空に解けていくその一筋を見上げ、目を細めた。
「ありがとう」
見えない彼女に向けて、感謝の言葉を紡ぐ。
返る言葉はない。もしかしたら、もうここにはいないのかもしれない。
そもそも、彼女が本当に存在していたのかもはっきりとしなかった。
夢うつつに見えた影。長い黒髪を揺らし、燃えるような赤い目をさらに赤くして泣いていた彼女。彼女の姿が掻き消えると同時に聞こえた、叫び。
夢だったのかもしれない。
「貴女がいてくれてよかった。おかげで、さよならを言う時間ができた」
例えそうだとしても構わなかった。
叫ぶ声を聞いて、翌日集まった皆と互いに語り合う事が出来たのだから。叫ぶ声が聞こえた事を皆それぞれに不思議がりながら、それでも楽しい一時を過ごす事が出来た。
何かの予感にさようならと笑い、手を離した。こんなにも穏やかに別れる事が出来たのは、あの叫ぶ声があったからだろう。
「本当にありがとう」
呟いて、視線を下ろす。
そろそろ行かなければ。踵を返し、煙に背を向け歩き出す。
「Why…」
不意に声が聞こえた。困惑した、何故を問う声。
立ち止まり辺りを見渡せど、姿はない。
「アナタ、とても、strange。不思議、変。ワタシ、叫んだ。死、呼んだ。なのに、感謝。とても、とてもstrange」
声は頻りに不思議だと繰り返す。
あの赤い目が戸惑い揺れている様を想像して、隠し切れなかった笑みが零れ落ちる。
声は自分を不思議だと言うが、それはお互い様だろうと内心で思う。叫ぶ事で死を呼ぶなど、それではまるで、異国の伝説にあるマンドレイクのようではないか。
「この国、strange。言葉、とてもstrange。人間、神秘、共存してる。言葉、強い力、ある。strange」
「そんなに変かな」
どうやら声は異国から来たらしい。不思議で仕方がないと、感情を宿す声に、苦笑して言葉を返す
自分では分からない。
言葉には力が宿るから、くれぐれも気をつけなさい。
そう言われた事はある。幼い頃に、よく両親や祖父母から聞かされた事だ。成長し、身をもってその意味を知ったが、それは他の国でも変わらないのではないだろうか。
「言葉が力を持つのは、他の国でも同じだと思っていたけれど。貴女の国では違うの?」
「言葉、力ある。変わらない。But、でも、この国、言葉、とても強い。とてもとても…神秘、作り上げる」
「神秘?」
どういう意味だろうか。聞き返せば、声は言葉に詰まる。
ややあって。たぶんと前置きされながら、声は迷うように言葉を探しつつ話し出した。
「人間、想像、形なる。言葉、伝える。本物成る」
「――そういえば、前に呼んだ小説に、そんな事が書いてたような」
妖、だっただろうか。人の想像が形を持った、人に寄り添う存在。時には人を助け、時には人を害す。人が望み、妖が応える。その共存関係の始まりは、確かに人の言葉だ。
「けど、貴女も妖ではないの?」
ふとした疑問に、けれども声ははっきりと否を答えた。
「No。ワタシ、違う。ワタシ以外、アヤカシ、maybe、いる。But、ワタシ、違う」
それならば、とさらに問いかけようとして止める。
声が誰であろうと、それは些細な事だ。どこか哀愁を帯びた声に、興味本位で踏み入れるものではないと意識を切り替えた。
「――そろそろ行かないと」
もう一度辺りを一瞥する。やはり彼女の姿が見えない事に微かに寂しさを覚えながらも、前に向き直る。
「行くの」
小さな呟く声に、笑って頷く。心残りがないと言えば嘘になるが、だからといって立ち止まっている訳にはいかない。先に進まなければ。
そう伝えれば、どことなく不満げな声がすぐ近くから聞こえた。
「この国、judgment、審判、ある、聞いた…シジュウクニチ」
「よく知ってるね」
四十九日。中陰《ちゅういん》と呼ばれるその期間は、七日毎に審判が行われ、その判決で来世が変わるのだという。
「そうだね。苦海に沈む身であれば、その判決を待つべきだと思うけれど…わたしには迎えがあるからね」
苦笑して、指を差す。その先にいる見慣れた顔ぶれに、手を振り歩み寄る。
「よっ。先日ぶり」
「あなたが最後ですよ」
「相変わらず、時間にルーズね。最後くらいはきっちりしたら?」
「急には変えられないよ。それにようやく終わったんだから」
振り返り、空を見上げて煙が見えなくなった事を認め、視線を戻す。変わらない彼らに、肩を竦めて溜息を吐いてみせた。
「やっぱり皆、駄目だったんだね」
「そうね。あの事故の生存者はゼロだったようよ」
「ま、五体満足で体が戻れた分、ありがたいわな。未だ戻れてない奴らがほとんどらしい」
「これも、あの夜聞いた叫び声のおかげかもしれませんね」
「ちげぇねぇ。会えたなら、礼を言いたいくらいだ」
からからと笑い合う彼らを横目に、自身の影に視線を落とす。揺らぐ影から彼女の動揺を感じ取りつつも、手を差し伸べた。
「だ、そうだよ。そろそろ姿を見せてくれたらうれしいな」
「どうしました?誰かおられるのでしょうか」
全員の視線が影に向く。それにさらに動揺したのか大きく揺らいで沈黙した後、ゆっくりと影から灰色のフードを被った少女が現れた。
戸惑うように視線を彷徨わせ、怖ず怖ずと差し出した手を取る。その手を引いて影から出して、皆の方へと背を押した。
「もしかして、あの叫び声の方は」
「そうみたいだ。優しくしてあげてほしい」
「へぇ。可愛い子じゃない。凄い叫び声だったから、もっとゴツい子を想像してたわ」
「ありがとうな。教えてくれてよ。おかげで周りと別れを言えるわ、こうして集まる事も出来た訳だ。感謝してる」
「そうね。ありがと。大切な人にちゃんとバイバイできたのは、とっても幸せだもの。感謝してもしきれないわ」
「ありがとうございます。貴女が教えて下さったので、悔いなく還れそうです」
「Why、Why…?」
戸惑う彼女に皆それぞれ優しく声をかけていく。混乱し、泣きそうな彼女に笑いかけ、もう一度手を差し出した。
「よければ、常世まで皆で一緒に行かない?人の死を予知し、それを悲しむ優しい魔女さん」
「ワタシ、ワタシ、は…」
他の皆もそれぞれに手を差し出す。それに、彼女は顔をくしゃりと歪めた。赤い目が揺らいで滴を溢し、両の手が縋るものを求めるように宙を彷徨う。
その手を皆で取れば、彼女は声を上げて泣き出した。
「悲しい。痛い。だから、叫ぶ。そして、人間、死ぬ…ずっと、ずっと、ワタシ、殺した、思って…!」
「そんな事ねぇだろ。死神なら、もっとばっさりやるもんだ。あんたは、これから死ぬ人を予知して、それを伝えてんだろ」
「そうよ。だからもう、そんなに泣かないの。可愛い顔が、台無しだわ」
「皆の言う通りです。ですからもう気に病まないで下さい」
手を繋ぎ、背を撫でる。彼らの言葉と手の温もりで、涙が止められなくなってしまった彼女と彼らを見守りながら、振り返る。
遠く、こちらを待つ影に会釈をする。
常世の迎えが来た。審判などはない。刹那を生きて、死んだのだから、そこに他者の判決などはいらない。
全力で生きた自分達は、やはり苦海に沈んでいる訳ではなさそうだ。
「そろそろ行こうか。迎えが来ているよ」
彼らに声をかけ、迎えの元へ歩き出す。
彼らと手を繋ぎ、支えられる彼女もまた、彼らと共に歩き出した。
「貴女も眠れるといいね。聞いてみようか」
優しい彼女にも、眠りは必要だ。一人きりで、死を知らせて叫ぶ声も枯れ果てている頃だろう。
きっと受け入れてもらえる。そう根拠のない確信を抱きながら、迎えの元へと駆け出した。
20250322 『bye bye...』
3/23/2025, 11:16:49 AM