「凍える指先」
こんなのはおかしい。間違っていない、何も間違っていないはずだというのに、外は1面雪に覆われ美しい花なんてのは一切顔を出していない。木々が揺れ、吹雪が家の窓を叩き、ただひたすらに私の後悔を深く滲ませて、それが現実だと意識させる。
今より二日ほど前のこと。なめらかで暖かい風が流れて、心地よい晴れの日が続いていた。庭の花も美しく咲いて何もかもが順調で、幸せとはこの事かと思うほどに。この時から、今に繋がる片鱗はあったのかもしれない。部屋に飾っていた花が萎れて、少しだけ冷たい風を吸った記憶がある。ただそれをよくあることだと深く受け止めていなかった。
その日はなんだか眠気が迫るのが早くて、いつもより2、3時間ほど早く布団に入った。そろそろ寒くなりそうな雰囲気に辟易しながらまぶたを閉じる。
今思えば絶望の前日だ。二日前の片鱗などないくらいに朝からぼかぽかと暖かかった。だから油断していた。空気が澄んで、気分が高揚して、とにかくとても楽しい気分で。滅多にしないくせに料理なんかに手を出して、その日は確か、ハンバーグを焼いた。子供らしいと笑われてしまうかもしれない、はにかむような幸せそうな笑顔のあのひとに、私の脳裏に浮かんだあのひとに。
どれだけ愛しく想ってみても、どうにも思い出せない。脳みそが拒む、記憶を掘り返すことが悪だとでも言うように。悶々としたまま次の日の朝になった。絶望の日の朝。今日は朝から肌寒い感じがして、いつもよりずっと早くに目が覚めてしまった。寝るのが遅かったせいか、寝不足でふらつくのを何とか抑えて、洗面台で顔を洗った。目が覚めると段々頭も冴えてくるようで、着替えて朝食をとる間はハッキリと意識があった。冬のような寒さに驚いて窓を見る。冴えた頭でさえ何も入ってこなかった。本の数時間前まで雨すら降っていなかったはずだ。それにもかかわらず、いまでは雪が1面を埋めている。外は出れば凍るんじゃないかと思うほどに寒そうで、温度が下がっている。
………………………ああ、思い出した。
机の上の花瓶を見た時、私が1番見たくないものを、無意識のまま遠ざけていたことを知った。この凍えた指先は、喉元はいつになったら暖まってくれるだろうか。
どうして急に身を案じ始めたのか、自分が何を思い出したのか。私の春は、私の暖かさは、私の妻のものだと気付いてしまった。
またいつ春が来るのかわからない。きっともう二度とあの暖かさは戻ってこないのだろう。それでも、今やっと窓の外の吹雪が少し弱まったのを感じた。
12/9/2025, 11:34:05 PM