平穏な日常は、どういう日常のことを言うのだろうか。
そもそも、平穏で終われる日常に感謝できる人間がどれだけいるのか。
毎日、どこかで命が奪われ、どこかで新しい命が生まれている。
奪われて良い命はあるのか。
罪を犯し、罰するために奪うという行為はどのような時代の背景から生まれ、どのような背景の人間が犯すのか。
新しい命だって、祝福ばかりではない。
悲しみや辛さの中に生まれる時もある。
しかし、悲しみや辛さの中にひとつの明かりを灯すように生まれる命があるという事実もある。
生死というものは交差し、
生を祝福する者と死を祝福するもの
全くの真反対だが、これが人間という生き物だ。
人間以外にも、動物が人間の行為で命を落とした時、弔うべき命はきちんと弔うことが出来ているのか。
悲惨、残酷な現場で残された骨と皮になった平らな亡骸、骨だけの亡骸、バラバラになった亡骸、埋もれた亡骸、最期を迎えた姿のまま固まった亡骸。
これだけではないが、
事実として、これらを放棄する人間と弔う人間がいる。
人間は、不思議だ。
人間という種族の中に、個という枠組みを超えて、多様な存在がいる。
人間は時に恐ろしい存在になり、時に儚くも散り逝く存在だと思う。
複雑では語りきれない、絡み合った存在。
これらが団結した時、平穏な日常を送れるか、最悪最恐な自体を招くかは分からない。
何故か。これらが絡み合うから、今日まで、幾多の人間が犠牲となり、立ち上がってきた。
人間だけではない。自然の猛威や動物たちの猛威も犠牲と復活を繰り返してきた。
今も進化を遂げている人間たち。それは自然も動物もその他生物、植物も進化を遂げている。
衰退していく部分はあるが、それは本当に衰退して良い部分か?
考えろ、人間よ。
__平穏な日常
綴 白__
3/12/2026, 8:54:08 AM