ドルニエ

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 ヒトは多くのものを失いながら生きるモノだ。だからといって失っていいものと嫌なものはある。昨日の夕飯がカレーだったか干し肉だったかなんてどうだっていいし、最後に夕立に降られたのが2週間前だろうが半年前だろうが違いはない。
 逆に、娘時代からのこだわりとか、気に入っている人間の、気に入っている所以だとか、何を生きる理由にするかとか、そういうものを失うのは、ひじょうに大きい。身体のどこかを失うことと同列だ。それらは自分というモノを成り立たせることなのだから、決してオーバーなたとえではない。
 だから、奴が死んだことに触れるたびに、どう始末をつけたものか、それは困惑させられるのだ。そういう気配は出していないつもりだったが、実際はどうなのだろう。奴を愛玩動物のように見ていたことは否定しない。呼べば向こうから寄ってきたし、身体を求めれば喜んで差し出してきた。私なりに可愛がってやったつもりだったが、奴にはそれでよかったのだろうか。そう、思わないこともない。最初に見せていたちりちりとした雰囲気が奴の本来の性質だったのなら、それをねじ曲げずに引き受けてやっていたらどうだったのだろう、とも思う。だが、どれだけ遡ろうと思索を重ねようと、そんなものは掴みようがないし、掴んだところで納得を伴わなければ意味がない。
 どうかされましたか、という馴染みのバーテンダーの言葉に適当に応え、すっとグラスに残った酒を呷ると私は彼に世辞を言い、代金を支払って立ちあがる。言われたこともないことを言われた彼はちょっと意外そうな顔をしたが、すぐにいつもの顔に戻っていつもの挨拶をする。私は軽く手を振って酒場の扉を押した。
 昼の強烈な日差しを顔に受け、私は顔をしかめた。
 そうだな、顔見知りに会おう。私にはまだ、気に入っている奴がいるのだ。この街に。
 そう決めると、私はぐっと拳を握りこんだ。

9/10/2023, 11:07:38 AM