炉夏

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「エー、この後は一旦自由行動とします。各々身体を休めて夜に備えてください」

はーい、と返事をするように全員が無言のまま頷く。声に出さずとも、みんなの意志が同じタイミングで一つの所に収束していくのが分かった。

顧問の話が終わると、部長が「ごちそうさまでした」と挨拶をした。それに続いてみんなも胸の前で小さく手を合わせて口々にごちそうさまを言うと、ばらばらと席を立ち、さざめきのような談笑を交わしながら食堂を出ていった。

あの不思議な一体感と、満ち足りた疲労感。腹が満たされて眠い、という生物学的理由だけではなかったように思う。



毎年冬に行われる天文部の合宿中、私達の一日は昼過ぎに始まり、深夜に活動のピークを迎え、そして世の中の大半の人間が重い身体に鞭打って布団から出る頃に終わる。

朝7時。冷えきった身体に染み込むような優しく温かい朝食を頂いたら、その後は夕方に再び望遠鏡などの機材を設置するまで完全に自由行動だ。一応昼食も用意されるけれど、食べるか食べないかは個人の意思に任されている。

合宿のしおりを開くと、行程表には16時までブチ抜きで『午睡』と書いてある。

午睡、つまり昼寝である。

日頃「早寝早起き」と一種の脅迫のように刷り込まれながら生活している高校生諸君、ここでは最長9時間にも及ぶ『おひるね』が合法的に認められているのだ。ビバ、昼夜逆転生活。


みんながぞろぞろと2階の宿泊部屋に引き揚げる中、私は食堂の大きな窓に寄って外を眺めた。

夏は畑になるであろう一面の銀世界の向こうに、青く霞んだ山々が見える。さっきまで夜の名残を残していた西の空も、今ではすっかり朝のすっきりとした空気を湛えていた。

食堂の窓の一部は扉になっていて、そのままテラスに出ることが出来た。

少し迷ってから、私はその扉を開けると外に出た。白いセーターの編み目を透かして冬の冷たい空気が一気に体を包み込む。

昇ったばかりの太陽の光が辺りに降り積もった真っ白な雪をさらに輝かせて、一晩中闇に凝らし続けた瞳に眩しかった。思わず目を閉じると、瞼の血管が透けて温かなピンク色に染まるのが見えた。

「寒くないの?」

不意に声がして振り向くと、相部屋の樫井だった。
モコモコの裏地の付いたパーカーを掻き寄せるように腕を組んで、やっぱ寒ぃーなーと言いながら確かめるように白い息を吐いた。

「…いい天気だね」
「おん」

星を観るために建てられたこの山荘から見える景色は、それが朝であろうと本当に美しかった。

薄い碧からブルーのグラデーションに染まる冬晴れの空に、夜だったら部員全員が恨み言をいうであろう立派な巻雲が絵画のようによく映えていた。

私達は光合成する植物よろしく、しばらく黙ってそれを眺めていた。

「つかやっぱ寒すぎるだろ」
「だよね。戻るか」
「戻ろう」

なにしてんだよ、私達。青春だよ。うるせえ。と笑いながら、2階へと続く階段を上る。

「あー、先生が午後に希望者連れて野辺山行くって言ってたけど、どうする?」
「んー起きれたら行く」

それ絶対行かないじゃん。そう言ってまた笑い合う。徹夜明けでハイになってるのか、話すこと全部が可笑しくて、見るもの全てが眩しかった。

それから寝間着に着替えると、私達はもぞもぞとベットに潜り込む。

アラームかけていい?
いいよ。
ん。
じゃあ。

「おやすみ」

1日の始まりを彩る冬晴れの空とカーテン1枚隔てたこちら側で、私達はようやく眠りにつく。


─冬晴れ─

1/6/2023, 6:55:39 AM