故郷を出るまで、俺はずっと這いつくばるようにして生きてきた。先ほどまでは物理的に這いつくばっていた。そして今は仰向けに寝そべっていた。
――今日もずいぶん派手にやられたな。
首に手を当てると、先ほどまで食い込んでいた帯の跡が残っている。そしてどこがとは言わないが、とにかく痛くて身動きがとれない。寝返りをうとうとして失敗し、小さくうめくと、テーブルで酒肴を楽しんでいたそのひとがちらりとこちらを見たが、すぐにこちらへの興味を失ったようだった。
俺がしたいのは、復讐でも破壊でもない。俺が求めるのは自分の納得だ。故郷を出るために老人たちに並べたことは方便、嘘八百。彼らが喜びそうなことを適当に並べただけだ。もっとも、彼らとて俺を全面的に信じて送り出したわけではないし、こちらの状況も実は筒抜けだったりするから、どこかのタイミングで彼らからの接触は覚悟しなければならないだろう。故郷は場所が場所だし、こちらも常に移動しているからそうそう捕まることもないと思うが、その時にどう対処するか考えておかなくてはならないのが少し憂鬱だ。
ただ――思った以上に、この人のそばの居心地がよかった。俺はこの人のところ、この人のいるところに逃げてきたのだが、それで俺の世界がこれだけ劇的に変わることまでは期待していなかった。のらりくらりと故郷から離れる口実にしただけ――“だけ”と言い切ることに違和感はあるし、そのわりに支払うものも多かったが――のつもりだった。それが、あの人の前に出て、よく分からないうちにああいうことになって、結局あの人とあの人のそばにいることにのめり込んでしまっていた。それは半分望んでいたことだし、ある部分で期待していたことですらあったのだが、それでもこれだけとは想像外だった。
“そんなこと”で俺の問題が解決するとも思っていないが、それでも、今が心地よいのはどうしようもないのだ。
この人の側にいることで――
俺はそっと酒を注ぎ足している彼女を見た。
――俺は俺の納得する生き方ができるようになるのだろうか。
場合によっては故郷の老人たちをどうにかしたら、故郷以外のいくつかのものも俺は捨てることになるだろうが、それを選ぶ力を俺は得たい。
うっすらと涙が浮かぶ。憎く、疎ましく、忌々しいと考えてきた故郷を捨てることを切望してきたから、自分でも涙の理由は分からなかったのだが、俺はそれを拭おうとは思わなかった。
「どうした、まだ痛むか?」
そんなに痛かったのか、とそれに気づいた彼女がグラスを手にしたままやって来る。
「いえ、――」
彼女に話すべきなのかと、俺は少し考える。
「その酒、飲ませてくれませんか。口移しで。あのときのように」
「はぁ?」
珍しく驚いた声を彼女はあげた。俺はそれが面白くて、思ってもいないことを、できるだけふてぶてしい態度で訴えた。
「まだ動けないんですよ。あなたに滅茶苦茶にされたから。少しは加減してください」
「――、本当に生意気になったな。うんざりするほど飲ませてやろうか」
「ええ。でもそのときは、あなたが介抱してくださいね」
眉をつり上げてこちらを見下ろす彼女に、俺は笑いかけた。
9/3/2023, 9:53:44 AM