短編小説『裏返し』
「やんなくていい! 自分でできるもん!」
大きな声で自己主張する子どもの顔をまじまじと見る。
真っ赤な頬、涙がたまった下まぶた、震える唇。
どうやら「だからやってあげるよ」と声をかけたのは間違いだったようだ。
パジャマが脱げないしズボンが履けない。できないから、毎朝自分で自分にいらいらしてる。本音を言えばこっちだって時間がない。少しでも早く着替えさせて、できれば一本前の快速電車に乗りたい。機嫌を悪くして保育園行かないとか、泣きっぱなしで通園とかはさすがに勘弁。だから、いつものように手を出してささっと着替えを終わらせようとしたのだけれど。
「そっか」
そう、自分がやりたいんだよね。
愛情じゃなくて自己都合の裏返し。
子どもの心理は二の次で、あとが面倒だからと自分本位に手を貸していた。
そう、自分でやりたいんだよね。
自己主張もイライラも成長の裏返し。
毎日の繰り返しだと思っていたのに自我と自立心が芽生えてきてた。
「できた!」
はっとして顔をあげると、さっきまでの怒りが嘘のように得意げな顔になって目の間に立っていた。
「そう、自分で全部できたの! えらいねぇ!」
大げさに褒めると子どもは全身で喜ぶようにして両手を上げてジャンプした。真っ赤な頬はそのままに落っこちそうなくらい揺れている。かわいい。両手に挟んでキスをしたい。
こういう瞬間があるからやっていけるんだよな、と一緒に笑顔になりながら。
「さあ、保育園行こっか」
そうして小さくてあったかい手を引いて玄関に向かう。
裏返しに履いたズボンは見なかったことにして。
8/23/2024, 4:41:34 AM