初音くろ

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今日のテーマ
《相合傘》





昼休みまで晴れていたのが嘘のように、5時間目の終わり頃から曇り出した空は放課後になる頃には完全に雨模様になっていた。
傘を持ってきていない者達は、諦めて濡れて帰る覚悟を決めて駆け出したり、家族に迎えを頼む電話をしたり、最終下校の時間まで校内で時間を潰して雨が止むのを待つことにしたりと、その選択は様々だ。
天気予報をチェックしてきた僕はしっかり傘を持ってきていて、そんな級友達を少し気の毒に思いながら昇降口で靴を履き替える。
仲の良い友人達も今日はみんな傘を持ってきていたようで入れてくれと頼まれることもない。
そんな僕の目に、ふと、生徒用玄関の軒下で空を見上げる女子の姿が目に止まった。
あまり話したことのない、同じクラスの子だ。

「傘、忘れたの?」
「まあ、そんなとこ」

困り顔で肩を竦める様子を見て、ちょっと迷う。
特に親しいわけじゃないけど、彼女の家は通学路の途中にあることを僕は知ってる。
僕がここで「入れてあげようか」と声をかけたら、彼女は濡れずに帰ることができるだろう。
でも、それを誰かに見られたら、絶対にからかいの種にされる。
彼女は男子の間で密かに人気があって、対する僕はと言えばクラスでも影の薄い陰キャで。
たとえそれが事実であったとしても、いや事実だからこそ、そういう噂の矢面に立たされるのは正直言って全力で避けたい。
そう、僕もまた彼女のことをいいなと思っている内の1人だったから。

一向に止む気配のない空を見上げながら彼女がため息を吐く。
途方に暮れたようなその横顔を見たら、やっぱりこのまま知らんぷりすることはできないなと思う。
そうなると選択肢は限られる。

「傘、良ければ僕の使って」
「え? でも……」
「家までダッシュすれば10分くらいだし」
「駄目だよ! 風邪引いちゃう!」
「女の子って体冷やすの良くないっていうじゃん。こっちなら大丈夫だから」

幸い傘は無地の水色で、女子が使っても違和感はない。
だから僕は傘を押しつけてそのまま雨の中へ駆け出そうとしたんだけど、それより彼女が腕を掴んで引き止める方が僅かに早かった。

「それなら一緒に帰ろう」
「いや、でも、それは……」
「わたしが傘借りたせいで風邪引かせたら責任感じちゃうから。それくらいなら一緒に帰ろう。ていうか、一緒に入れて帰って。お願い」

両手を合わせて拝むように頼んでくる。
気になる女の子にこんな風にお願いされて、どうしてすげなく断ることができるだろう。
でも変に噂されたりするのは、僕も困るけど、彼女だって嫌なんじゃないだろうか。
ためらい、逡巡する僕に、彼女も僕が嫌がっているわけじゃないということに気づいたらしい。

「もしかして、誤解されると困る人がいるとか?」
「えーと、僕はそういう相手はいないけど、そっちは変に噂されたら困るんじゃないかなって」
「なんで?」
「だって、僕、こんなだし」
「こんなって?」
「陰キャだし、その……女子って僕みたいなのキモいって思うんじゃないかなって」
「は? 全然そんなことないよ! むしろ逆だし!」
「え、なんて?」
「ううんごめん何でもない!」

めちゃくちゃ慌てたように彼女が首を振る。
何だかよく分からないけど、キモいとまでは思われてないようでそのことにこっそりホッとする。

「うち、一応通学路の通り道だよね? 遠回りさせちゃったりとかじゃないと思うんだけど」
「あー、うん、そそれはそうなんだけど」
「何だったら寄ってってくれたらお礼にジュースくらい出すし」
「いや流石にそれは」
「じゃあ家まで入れてってくれるのはいい?」

あれ?
何だか一緒に帰る流れになってる?
どうしたものかと考えるけど、そうじゃなくても口下手な僕が、女子に口で勝てるはずもなく。

「もし誰かに何か言われたら、私が無理矢理お願いして入れてもらったってちゃんと言うから!」
「う、うん、そこまで言うなら……」

身を乗り出すようにしてそこまで必死に懇願されたこともあり、僕は仕方なく頷いた。
緊張するし、本当に大丈夫かなって心配もあるけど、だからって嫌なわけじゃない。むしろ嬉しいまである。
あまり目立つようなことはしたくないけど、誰かに何か言われたらその時はその時だって開き直ろう。

そうして僕たちは1本の傘の下、寄り添うようにして歩き始める。
彼女が少しでも濡れなくて済むように、少しだけ彼女寄りに傾けて。
触れる腕から伝わる体温とか、時々ふわっと鼻を擽るシャンプーの香りとか、蒸し暑さのせいばかりじゃなく火照る頬とか、そんなことばかり意識して、心臓が全力疾走したときみたいにドキドキしてくる。
どうかこのことが彼女に気づかれませんように。
祈るように思いながら、僕はその10分程度の道のりを、緊張と幸せを噛み締めながら歩いていく。


彼女の鞄の中に実は折り畳み傘が入っていたことや、これが彼女なりの拙いアプローチだったということ僕がを知るのは、それからだいぶ経ってからのお話。








6/20/2023, 8:11:17 AM