太陽の下で
人に、よると思うが
その言葉を聞くと、ようやく日の下にでてきた、そんな情景を
思い浮かべる
それは、植物の根だったり
蝉の幼虫だったり
要するに、達成へ経過地点であり、それは未だ通過でしかないが
強い希望なのだ。
険しい山の登山で手に届きそうな頂きが見えた時だとか
フルマラソンでゴールが見えた瞬間だとか
どんなに計算式や化学方程式を組み重ねても
見つからない結論のピースが見つかった時だとか
あと一歩じゃないか、という驚きと呆気なさと
枯渇していた力が、どこから沸き起こる。
すべて使い切ったうえで最後に燃えるのは、太陽に感化された魂だ。
焼けただれそうな強い光であってのも
激しく打ちのめされて、自分の欠片や自分の螺旋を
諦めそうになる刹那
世界の魂が耳に木霊し、自分の振動に共鳴し
奮い立たせる
それが太陽の下だ
11/25/2024, 3:30:21 PM