失われた響き
人が人を忘れるとき、始めは声から忘れていくという。有名な話だろう。次に忘れていくのが顔。写真が残っていれば良いのだろうが。ぽろぽろと記憶が無くなっていくのは、寂しいと思う。
最後に忘れるのは、匂いだという。写真と違って記録に残すのは難しい。それを忘れてしまったら、そこに残るのは何なのだろうと思う。
そういう、忘れゆく記憶を思い出そうとする時、そこには「確かこうだっだ」という主観が入り込む。ぽろりとこぼれた一部を修復しようと、想像で塗り重ねて仕舞えば、それはもう元の記憶ではなくなってしまう。
それがまた剥がれ落ち、また塗り重ね、そうして出来上がった記憶の下で、元の思い出は死んでしまうのだろう。
これを書いていて、ふいに昔の、子供の頃の友人のことを思い出した。友人というか、たぶん、好きだった人。当時はまだ子供と大人の狭間の時期で、そういった感情に疎かったから、仕方がない。今思えば、きっと好きだったんだろうと思う。その人と喋って、笑い合うのが、好きだったから。
写真は残っている。でも、その人の声をもう思い出せなくて、悲しくなった。
11/29/2025, 3:40:37 PM