藍星

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春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く
夜来風雨の声 花落ちつること知る多少

春はついつい寝過ごしてしまう。夜が明けたことも、気付かぬまま。
小鳥のさえずりが聞こえてくる。
昨晩の雨風は、どれくらいの花を落としてしまっただろうか。


確か・・こんな感じの詩の意味だったかな。これは中国の詩人の作だった気がする。
国が違っても、春の陽気にまどろむ感性は国や時代を超えてもあるものなのだろう。



私の膝を枕にぐっすり眠っている彼が、それを体現している。
最初は私の肩に寄りかかっていたのだが、あまりに気持ち良さそうな寝顔に、そっと私の膝に彼の頭をのせた。

やはり、横になるとよく眠れるのだろう。すっかり夢の中に落ちている様子だ。
そんな彼の寝顔と彼のぬくもりを感じていると、私の心にじんわりと安らぎが広がってくる。


この彼のように、うたわれている詩のように、春の陽気にまどろんで寝過ごしてしまうほど眠れるなんてと、私は羨ましい。

小鳥のさえずりで目を覚ますより前に起きているし、そもそも眠れればいい方だ。
昨夜の雨風の音は、いつ止んだのかも知っているし、どのくらい花が落ちたのかも雨の音の強さでわかる。

私にとって春は、つらいことを思い出させられてしまう季節だ。過ぎたことだと思えれば良いのかもしれないが、それができる時ばかりではない。
その時は無理に忘れても、後々関連するものを見たり聞いたり、はたまたそういうものがなくても唐突に思い出してしまうこともある。

唐突に思い出してしまう時はともかく、テレビや新聞の春という言葉などの関連するものわ見たり聞いたりすることが増えて、私の心は春の陽気にまどろめるような状態ではなかった。

一応薬はのんでいるものの、薬というのは摂りすぎると毒になる。毒になる前に、症状が治ればいいのだが、私の場合はそうはならなかった。


日は沈み、もう夜とも言える時間。
眠れなくても、横になっている方が体の休息になる。だけど、彼の安らかな睡眠を邪魔したくないという思いから、もう少しこのままでいることにした。

彼の頭を撫でる。寝ている少年のような表情は、安心している証拠だ。私が少しでも安心を愛しい彼に与えられているのなら、眠れない夜も悪くない。


窓から空を見上げると、春の夜空が見えた。
冬の星座のオリオン座も見えるものの、もう真冬のような存在感はない。
冬の星座はその存在感を、次第に春の星座に譲り、日に日にやわらかな瞬きが美しい瞬きになってきている。

じきに月も春の輝きを放つようになる。
冬にはなかった、やわらかさと優しさを感じる光は、眠れずにいても良かったと思わせてくれるほどの、心に届く優しい美しさがある。

春の夜の夢の如し––––
そんな言葉が生まれるほどの特別な光は、私にとって数少ない春の訪れを嬉しくさせてくれるものだった。


数少ない春の訪れを嬉しくさせてくれるものの一つに、彼と初めて夜に出かけた時の思い出がある。

その日は、少し嫌なことがあり私は気晴らしに外に出た。日が沈んでも、帰宅する気になれなかった私は、そのまま外を歩いていた。
しばらくすると、たまたま彼が連絡をしてきた。状況を伝えると、彼は私の心情を気遣って出先に来てくれた。

帰りたくないなら、連れて行きたいところがあると彼は私を連れて、歩き出した。連れて行かれた場所は、明かりがあまりない郊外の丘だった。

そこから見える夜空は、息をのむほど美しかった。いつも見えている何倍もの数の星が、空いっぱいに瞬いていた。

彼は私につき合い、日付けが変わるまでそこで星空を一緒に見ていてくれた。
彼は、ここならだいたい星がきれいに見えるから、見たい時は来たらいいと、言ってくれた。
しかし、条件があると–––

これからここに来る時や、帰りたくなくて夜に外を出歩くような時は、オレを呼ぶこと。
そう約束してくれ。
でないと、オレが眠れなくなるから。

春の夜とは言え、夜中はまだまだ寒かった。
でも、彼の気持ちこもった言葉に、私の心は春の陽気にまどろむよりもあたたかくなった。


私にとって春は、いい思い出は多くない。
だけど、悪いことばかりでもない。

そして、一つでもあたたかい思い出あるのなら、それを大切にし続ける限り、
これからもずっと、私の心をあたためてくれるのだろう。

これからもずっと・・
あの美しい春の夜空は、今日も私の心の中で輝きつづけていく。

4/8/2024, 1:00:28 PM