木蟹村

Open App

「わたし、あなたがきらいよ」
 焚き火から逃げるみたいに歩いていった三角帽子の魔女が、振り返りもしないで言った。
 わかってる。これは本心じゃない。本気でこっちを突き放したいんじゃない。それでも付いてくるのか試していて、とにかく甘え下手ってことなのだ。
「はい、あたしも嫌いですよ。ノシアさんのそういう素直じゃなくて意地悪なところ」
 ノシアが振り返る。三角帽子の陰から、あおい眼がびりりと輝いている。
 無謀な旅をする年端もいかない少女と少年と、なにかと理屈をつけて格安で雇われてくれる頑強な傭兵、たまたま危ないところを助けてもらえた狩人のあたし。そんな一行に参謀として参加してくれた孤高の魔女は辛い過去を持っていて、だからとても気難しい。
「あなたは……いつもそうやって……」
 いつもなら無視するのに、今回は違った。ノシアは決意めいた眼を揺らがせて、なにか言葉を探している。
 なにか伝えたいこと? 相談?
 話があるふうだなとは思った。目が合ってから立ち上がったし、あとの三人にも気取られないようにしていた。
 しつこくつきまとうなとか、そういう感じを想像していた。だから、ちょっと冗談めかして、それから謝るつもりでいた。
 のだけど、ちょっと違う。ノシアはぎこちなく、つっけんどんだけど、思いやりめいたものを感じる。
「あなたにも、あるでしょう、いろいろと。それなのにそうやって、人のことばかり」
「え、あの?」
 別にノシアの過去に踏み込んだことはない。あたしだって踏み込んでほしくないから。そうやって気をつけてきたはずだ。完璧に。
「あなた、海のことにとても詳しいのね。こうやってわたしを追いかけてきても、砂に足を取られることもない」
「あの?」
 確かに、少年たちにはペラペラと海について話しすぎたかもしれない。でも常識ぐらいのことだ。
「あなたは、海を見ない。日が落ちてから一度も」
「そんなことはないです」
 暴くような物言いに、あたしも語気が強くなった。
「ごめんなさい。暴き立てたいわけではないの。ただ、それほどのことがあるなら、ここは嫌だと言って」
 もっと柔らかく言うことはできないのだろうか。かたい眼と口と、睨めあげる様はなんだか喧嘩を売られているみたいだ。
「ノシアさんは、かわいいですね」
 ノシアはかちこちに固まった。あたしもなんてことを言ったんだろう。だってかわいいと思ったんだ。怖くてたまらなかった夜の海で、向き合うこともできない怯えの中で、この人はあたしより小さいのに年上で、それなのに人と関わることには幼稚で、それでいて、心配してくれる。あたしを。
「あたし、夜の海が怖いんです。だって、のっぺりして、深くて、どこまで行くんだかわからないじゃないですか」
 それに、すごく嫌な目にあって。でもそんなことは、今は話さないままでいい。今のところは。


「夜の海」

8/15/2023, 3:10:33 PM