カラスがもう寝静まった頃。旅館から抜け出した俺たちは、錆びて注意書きも読めなくなった鉄階段を降りて浜辺を歩いていた。夜の海はその光を落ち着かせて、緩やかな夜凪の波の音だけを発している。
前を歩いていた彼女は急にしゃがんだかと思えば、貝を手に取り、こちらに見せびらかしてきた。
「なんか貝殻耳に当てると音聞こえるんでしょ?うちの出身県海無くてさ、ずっと試してみたかったんだよなぁ」
「試してみてどうだった?」
「うーん、ここ海だしどっちの音なのかわからないや」
そう言うと、彼女は海に貝殻を投げ捨てた。
いいのかよ?いいのいいの。
そんな適当な会話すら静かな海に吸い込まれていく。
いつか、この日のことを忘れる日が来るのだろう。
でも今だけは、この景色を二人だけで。
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「ねえ、」
『小説同好会』と記された部屋で、二人の人間が向かい合って座っている。
片方の男はスマートフォンを弄りながら、
もう片方の女は作文用紙で顔を仰ぎながら。
女は先程の声掛けに反応しない男に溜息を付きながら言った。
「珍しく良い結末になりそうだな〜って思ったけどさ?何が何でもハピエンは嫌なわけ?」
男は女の方に視線を向けて言った。
「書けないんだよ。幸せな話。」
9/5/2024, 1:17:57 PM