すゞめ

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 有給が残っていたらしく、彼女は午後休を取ることになったらしい。
 帰宅途中で昼飯を終えた俺と鉢合わせた。

 汗の滲む額。
 乱れた前髪。
 紅潮した頬。

 繋いでいる手も子どもみたいに熱っぽい。
 お互い汗ばんでいるはずなのに、不思議と不快感はなかった。

 いつだって彼女は眩しくきらめいていた。
 初めて会ったときから、ずっと大切な人。
 彼女に特別な季節感を抱いたことはない。

 それでも、汗で湿り気を帯びた皮膚から伝播する熱は、今日のようなうだる真夏日によく似合っていた。

「おかえりなさい」

 声に出ていたのか、まるまると目を見開いて彼女は俺を見上げる。
 戸惑いを見せたのは一瞬で、すぐに太陽みたいにキラキラと笑顔を弾けさせた。

「ただいまっ」

 夏が、俺の手を引いて小さな足を大きく伸ばして駆け出した。
 足がもつれそうになりながら、その手を振り解かれないように追いかける。

 前に、前に、前に……。
 彼女の足取りに迷いなんてひとつもなかった。
 子どもみたいに無邪気に、無鉄砲に夏を走り抜けていく。

「スポーツドリンクッ」
「はい?」

 パッと手を離した彼女は楽しそうに無垢な笑顔で振り返った。

「家の近くのコンビニまで競争しよ。負けたらスポドリ奢りで」
「はあっ!?」

 突拍子もない提案なうえに、ここからだと距離も微妙にある。
 唖然とした俺にかまうことなく、彼女は不敵に唇を歪めてヒラヒラっと手を振った。

「お先っ♪」
「ちょ、ずるいですよっ!」

 せめてスタートの合図を出せっ!

 悪態をつく余裕もなく、あっという間に小さくなった彼女の背中を追いかけた。
 自分でけしかけたくせに、相変わらず抜けているというかなんというか。
 彼女が見えなくなったことをいいことに、抜け道を駆使してコンビニまで先回りした。

「ずいぶんと遅かったですね?」

 俊足自慢の彼女のことだ。
 負けるなんて思っていなかったのだろう。
 あんぐりと口を開けたまま棒立ちしていた彼女は、ビシッと勢いよく指を差した。

「ずるしたーーーーーーっ!?」
「コースは指定されていません」

 勝負は勝負。
 スポドリの代わりにビールを奢ってもらったら、めっちゃ上下左右に振り回されて手渡された。

 大人気なさすぎる夏は今日も怒りを振りまき、ご乱心のようである。


『ただいま、夏。』

8/5/2025, 1:33:33 AM