sairo

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遠くで神楽笛の音が聞こえる。
明日の祭りのために、大人達が準備を進めているのだろう。
あれからどれくらい時間が過ぎたのか。一向に訪れる事がない眠気に、段々に不安が募る。
明日は、大事な日なのに。

「ねむれないの?」

もぞもぞと何度目かの寝返りを打てば、隣の布団から声がかかる。
布団から顔だけを出し視線を向けると、同じように顔だけを出した幼馴染と目があった。どこか不安そうな表情が一瞬で笑顔になり、いそいそとこちらの布団に潜り込んでくる。

「私も一緒。明日の事、考えてた」

にこにこと笑みを浮かべながらも、その手は微かに震えていて。落ち着かせるようにその手を取り、引き寄せた。

「何で私達なんだろうね。何でいつも通りじゃ駄目なんだろう。何で、」
「大丈夫。今年もいつもと同じ。お祭りも、神楽舞も。今年選ばれたのが、たまたま俺達だっただけ」

だから大丈夫なのだと、自分自身にも言い聞かせるように。
怖がりな幼馴染の頭を撫でながら、大丈夫と繰り返せば、少しずつ落ち着いてきたようだった。

「ありがとう。うん、大丈夫だよね。大丈夫…ちゃんと踊れるようにもう寝ないと、ね」
「そうだね。怒られないようにしっかり寝ないと。おやすみ」
「うん。おやすみなさい」

おやすみと言いながらも、幼馴染は自分の布団に戻る気配はない。仕方がないと、彼女の頭の下に腕を差し入れた。伝わる体温が不安を溶かしていくようで、ほぅと息が漏れる。
そのまま目を閉じていれば、幼馴染も同じように眠りについたらしい。微かに聞こえる寝息に、閉じていた目を開けた。

「大丈夫。いつもと同じ。ただ、神楽を舞うのが俺達になっただけ。祭りを仕切るのが父さんになっただけ」

囁いて、眠る幼馴染の額に口付け、祈る。
不安なのはきっと、彼女よりも自分の方だった。

村が少しずつ変わっていく。
一年前に、妹が雨を降らせるようになってから。
いつの間にか父は村長よりも立場が上になり、妹の言葉が絶対になった。祭りは一族が執り行うようになり、代々受け継がれていたはずの神楽舞も、明日は巫女ではなく自分達が舞う事になった。
まるで、村全体が毒に侵されているようだ。ゆっくりと蝕み、気づいた時には戻れない。皆変わってしまった。父も母も、以前はあんな傲慢ではなかったはずなのに。
妹はもはや、何を考えているのかすら分からない。何を思い、自分達に神楽を舞わせるのか。そして何故、
幼馴染との婚約を、祭りの最後に行うようにと告げたのか。

分からない。何一つ。
けれど、

「明日、何があっても絶対に俺が守るから」

これはただの見栄だ。
幼馴染に対して自尊心ばかり高くなってしまった自分の、精一杯の悪足掻き。

穏やかに眠る幼馴染は知らない。
変わってしまった家族の事。明日の事。自分達の事。
何一つ、伝える事が出来なかった。
本当は泣き叫び、縋りたいと思っているなんて。逃げ出したいなんて。
助けて、だなんて。
手を引かれてあどけなく微笑う幼馴染には、言えるはずなんてないのだ。


神楽笛の音はまだ止まない。
夜闇は益々色を濃くして、村を静かに沈めていく。

朝はまだ来ない。




20240518 『真夜中』

5/18/2024, 2:13:53 PM