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「これはここでいい?」
「うん、そこでいいよ、これで全部だから。
 どうもありがとう」

新居のフローリングの床は古びていた。
ダンボールが置かれるたびに苦しそうに軋み、
女2人が歩けば、泣き声のような音が上がる。

「少し、狭いね」
「女1人で住むには十分だよ」

引越し作業はこれで終わり。
何か言いたそうな彼女から目を逸らし、
労いの紅茶でも淹れようとキッチンに立つと、
突然後ろから抱きつかれた。
懐かしい感覚に発作的に私の涙腺が緩む。
慌てて回された腕を振り解こうと思ったが、
その力は、今までにないほどに強かった。

「ちょっと、何…」
「ごめんね、ごめんなさい、ごめん。
 あなたのことを、ひとりぼっちにさせて……」

今度はしっかりとした泣き声が響く。
気づけば私の頬にも涙が伝っていた。

「やめて、お願いだから泣かないで。
 ずっと笑っていて。幸せでいて。」

そう言いながら、私は彼女の手を握った。

この人生で、触れることが許されるのは、
今日、この瞬間が、最後になる。

彼女の指は細く、長く、白く可憐で、
いつも良い香りがした。
甘くそそるような爪の形。
ずっと触っていたくなるような滑らかな肌。
その質感を味わう余所者の手を止めるように、
左手の薬指にゴツリとした感覚があり、
私はそっと、手を離した。

もう十分だ。
もう十分、幸せだった。

私の頭の中で、
反服される彼女の香り、笑顔、言葉、その声。
彼女が今までにくれた思い出と、
優しさだけで、
きっと、
この先、最後まで、生きてゆける気がしたのだ。

5/2/2026, 11:46:34 AM