ミミッキュ

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"無垢"

 付き合い始めて約半年の間は、手を繋ぐ事さえ難題だった。
 原因は、繋ごうと手を近付けると触れる寸前で手を引っ込められたから。
 初めは申告してから近付けた。だが触れる寸前に「無理!」と引っ込められた。その度に「嫌な訳じゃなくて、その……」と口ごもりながら謝罪した。
 変に意識させるから駄目なのかと思い、移動中等にさりげなく近付けるようにした。それでも引っ込められ、その度に申し訳なさそうに謝罪した。
 次第に「俺のせいで……」と自分を責めるようになった。大我の為にももう止めようと思い始めていた頃、大我の方から近付けてきて、小指を摘んだ。
 小指を摘まれただけだが、触れてきてくれて嬉しかった。
 少し経つと、小指を掴むようになった。そこから掴む指が一本ずつ増えて、人差し指まで掴むようになって慣れた頃。大我の手を握った。
 初めは握り返してこなかったが、ゆっくり握り返してくれるようになって、本当の意味で手を繋いだ。
 何故ここまで長引いたのか。
 大我は小さい頃から円陣や肩組み等、他人に触れられたり触れたりするのが苦手で、俺が触れようとする度反射で避けていたらしい。
 それと、本人の恋愛経験が無い事も起因していた。
 他人を好きになった事すら初めてで、どうすればいいか分からなかったらしい。
 正直に言って、意外だった。
 常に大人の余裕を感じさせる態度を取っていて、俺が知っている事も当然のように知っている人(流石に外科的知識はあまり知らない)が恋愛に対してあまり知らないのは驚いたし、俺だけが知る顔を見て優越感に満たされたのを覚えた。
 ただ、全く無知という訳では無い。
 初めて居室に招き入れられた時、本棚の下の引き戸に少女漫画が五十音順に巻数も順番に綺麗に並べられていて、本屋の棚のような綺麗な陳列の中身に大我の几帳面さが出ていて微笑ましかった。
 高校生の頃から読んでいたらしく、「大体は漫画読んで学んでた」「漫画の主人公みたいに上手く立ち回れなくて迷惑かけた」と話す大我に、根の真面目さが滲み出ていた。
 そして『この人はあまりにも無垢だ』と知った。
 知ってからは反応を見ながら探り探りやるのではなく、緊張をほぐしながら少しずつ慣らす事を心掛けた。
 キスも、最初は手の甲から始めた。そこから日を改めながら前腕、二の腕、肩と徐々に慣らしていった。
 頬にキスをして、大我が俺の頬にキスし返してくれた時は内心とても喜んだ。
 手繋ぎ、キス。これの他に恋人らしい事は無いかどうか、二人で調べた。
 そして調べているうちに見つけてしまった。【性行為】という文字を。
 俺は『同性同士でもできるのか』と混乱していたが、大我は小首を傾げながら「せー、こーい……?」と、まるで初めて見た外国語単語を読むようにたどたどしく発音した。
 その反応も、無垢そのものだった。
 恋愛経験が無かったので当然だったが、ここまでとは思わなかった。
 通常の男女での性行為も知らなかった。保健体育の授業を受けていたら何となく察するはずなのに、本人曰く「理屈は知ってるけど具体的には分からない」だった。
 本当に大変だった。何度も待ったをかけられ、最低限を教えるだけで何日も要した。齢三十歳、その上自身よりも年上の男性に、こんな事を一から教える事になるとは思わなかった。
 だが、知らない事を恥ずかしい事だとそのままにせず、むしろ知りたいと必死に頑張る姿は、健気でとても可愛かった。
 無垢なこの人を汚していると罪悪感はあったが同時に、自分の為にどんな知識も吸収しようと努力する姿に、また胸を打たれた。
 どんな知識を吸収しても、この人の良い所はどうかいつまでも、変わらないで欲しい。

5/31/2024, 12:58:53 PM