人をも神にするといへば、 あの禁制も道理だが、いかほど神の數が増したとて、全能の御光が減るわけでもあるまいに、 さりとは御心の狹いにも程がある。
人の一命を木の實の一片にかへるといふやうなことは、大慈大悲の聞えある大神の御意ではなからう。善を知るのが惡いか、惡を知るのが惡いか?善を知れば善を行ひやすく、 惡を知れば惡を避けるのに都合がよい。能く善を知り、能く惡を知る者は、やがて神となるであらう。
二人は楽園を追われたわけではなく、生活する世界の方は変わらなかった。
手にした「智慧の木の実」は善悪の知恵、それで何か悪さをしたわけでもない。
追加)
イブなんか、「いかにも私逹の周圍にはいつも惡魔が付纒つてゐるに相違はないけれども、 ならば、何の樂しみもない私逹の身の上、此處を樂園といふのは名ばかりで、 地獄とちがつた所は少しもなく、自然大神の御稜威《みいづ》にもかゝはる道理。 よしんばどのやうな惡魔が窺つてゐようと、我が心さへ動かなかつたら、何も怖れることはない。 誘惑の試金石に逢はなかつたら、道念の堅さも誇るには足らない。萬物の靈と生れて來ながら、 惡魔の聲に聞きおぢするのは、却つて大威力を疑ふことになるであらう。」とまで言っていて、その漢ぶりに惚れそう。
4/30/2026, 11:37:41 PM