よあけ。

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お題:溢れる気持ち

 「駆け落ち。しようよ」
 なんとなく、言ってみたかっただけ。
「……あぁ」
 真に受けてないのかな。嘘じゃないよ、でも。
「二人で温泉行きたい。海にも行きたい。雪の降るとこにも行こうよ」
「ああ」
 苦しそうに低く唸る声が心地良いと、愛おしいと思った。瓶に入れて閉じ込めておきたいくらいだ。でも、あたしが触れられるのは手だけなんだよね。触れていい? 壊れない? でも触れたいから手を重ねてしまう。
 不意に触れていないほうの手が頬に伸びてきて
「なぁ、抱きしめていいか」
 なんて震える手と声で尋ねられるもんだから、あー、なんて言ったら困らせないかなって考えてんの。
 ねぇ、知ってる? あたしはね、自分からは抱きしめることもキスもできないの。あなたが言ってくれないと、できないから。
「いいよ。抱きしめてよ」
「ありがとう」
 なんでそんな顔すんの。いつもみたいにどういたしましてって強気でいればいいのに、何を我慢してるの。なんて、触れたら治まるだろうからあなたの首に腕を巻きつけた。首元に顔を埋めたらここにあなたがいるんだと思える。ほら、心臓って突き刺しても多少声は出るけど、首を真っ二つに斬っちゃうと何もかもが一瞬で……首から心臓の音が聞こえるし、首からあなたの声が聞こえるし、だからあなたはここにいると思うの。って、何考えてんだろう。やっぱりハグって感覚を麻痺させる。考え事も感覚も麻痺してくる。包まれてるのはあたしのはずなのにどっちかって言うとあたしがあなたを包んでるような、とか。それってあなたがあたしのこと、壊さないように触れてるからかな。あたしなら我慢できない。
「優しいんよね。おまえはさ。あたし、こんななのに」
 喉が振動する。口から出てくる前にあなたの声が聞けるのって不思議だ。
「優しくなんてねぇよ、俺は」
 本当に優しくないなら自分のこと優しいって言うはずだよ。
 あたし、我儘だからさ、縛り付けたくないけどそばにいてほしくて。あなたに初めて触れられたとき、ふと思っちゃったんよ。
「へへ、やっぱ好きやわぁ」
 そんなふうに思っちゃって、幸せだって感じたんよ。って、痛い。
「ちょっと、いたいいたい。そんなに締め付けんといて」
「抱きしめたいんだよ」
「んっふふ」
「お? 何笑ってんだ」
「潰されそーやなって」
 そう言ってもあなたは潰してくれないんだろうね。つらい、つらくない、わかんない。
「殺したいくらいだな」
 低く低く唸るようなあなたがそこにいた。ああ、このまま二人で、とけて、そのまま――眠くなってきちゃった。
 大丈夫、大丈夫だよ。声も、手も、仕草も好き。それ以上に心が、思考が、色が、あなたが好きだよ。ちゃんと好きなのに。
 おやすみ、あなた。

2/6/2024, 3:51:19 AM