俺の名前は鐘餅 杉生(かねもち すぎお)。
名前の通り、大富豪である。
ただの富豪ではない。
世界一の富豪だ。
俺は、生まれた時から全てを持っていた。
金、容姿、才能……
持っていないものなどこの世界には無い。
たまに嫌味で『持って無いものくらいあるだろう?』と言われることがある。
だが意味のない言葉だ。
なぜなら俺は全てを持っているから。
もし仮に持っていない物があったとしても、金でどうとでも出来る。
それは、俺にとって『持っている』と同じ意味を持つ。
例えば俺が持ってこいと言えば、立ちどころに使用人が手によって俺の元に運ばれてくる。
いつでも少しの手間で俺の元に届くものを、『持っていない』とは言わない。
そうだろう?
だが――
それを虚しく思うこともある。
何もかも持っていると言うことは、何も持っていないことに等しい。
努力をする必要が無いからだ。
つまり、人生にメリハリがない。
俺の人生は虚無で支配されていた。
俺は、この状況を変えるべく、世界中にアナウンスした。
『俺が持っていない物を持ってくれば、金をやる』と……
それから様々な人間が、俺の元にやって来た。
詐欺めいたものから、神の愛が無いとのたまう奴ら。
また昔話で出てくる『バカには見えない服』を持ってこられたこともあった。
まあまあ楽しかったのは認める。
だが誰一人として、俺の持ってない物を持ってこられた奴はいなかった。
俺が持っていないものは、やはり存在しないのか……
俺が諦めようとした、そんな時だ。
あの怪しい男が現れたのは。
◆
「鐘餅様、あなたが持っていないものをお持ちしました」
目の前の、見るからに胡散臭い男は、俺に対して恭しく礼をする。
正直、ここまで怪しい男の相手なんぞしたくは無いのだが、『あなたの持ってない物を持って来た』と言われれば対応せざるを得ない。
可能性があるのなら、俺は諦めたくない。
「では聞こうか。
何を持って来た?」
「『劣等感』でございます」
「劣等感?」
ふむ、と俺は手を顎に当てて考え込む。
劣等感、たしかに俺は持っていないものだ。
若い頃、『敗北が知りたい』といって、片っ端から才能ある人間に勝負を挑んだことがある。
だが結果は無残なものだった。
俺が相手を完膚なきまでに叩き潰してしまったのだ。
相手をしてくれた全員見るからに元気をなくし、引退したものも少なくない。
そこまでして知ったのは『虚無感』だけ……
今でも、彼らには悪い事をしたと、『後ろめたさ』がある。
そして思い出すだけでも、叫びたくなるほどの『黒歴史』。
俺は若き頃の過ちによって、鬱屈した感情すら一通り持ち合わせている。
だが言われてみれば、確かに『劣等感』は持っていない。
すべての人類より優れていると『優越感』こそあるが、『劣等感』など一度も経験したことは無い
だが――
「お前の言う通りだ。
確かに『劣等感』は持っていない……
だがどうやって俺に『劣等感』を味合わせるつもりだ。
俺にはお前が優秀には、とても見えないのだが……」
「はっきりおっしゃいますな。
まあ、確かに私はあなたに勝てないでしょう。
ですが、これを使えばあなたに『劣等感』を与えることが出来ます」
そう言って、目の前の男は怪しげな銀色の缶を差し出す。
「それは?」
「『劣等缶』でございます」
「お前にはギャグのセンスもないようだな」
「これは厳しいお言葉。
ですが、名前はともかく効果はありますよ」
男は、俺に缶を手渡す。
「それを一気飲みすれば、立ちどころに『劣等感』に苛まれます」
「毒は入っていないだろうな」
「そうですね……
毒と言えば、毒でしょうか。
というのも、これは劣等感まみれの人間が放つ負のオーラを凝縮したもの。
そして劣等感は、そもそもが体に悪い物です。
体の事が大事ならば、お飲みにならない方がよろしいかと」
「正直だな」
「それしか取り柄がありませんので」
男はへへへと笑う。
いかにも不審者の笑い声だが、こいつは俺の信頼を勝ち取ろうと気は無いのだろうか?
俺は少し考える。
目の前の男は、怪しさが人間の形をしたような存在だ。
だが言ってることには一理ある。
だが本当に『劣等感』を味わうことが出来るのだろうか……
どうにも信じがたい。
詐欺ではないのか?
だが目の前の缶が本物である可能性も捨てきれない
もしここで俺がいらないと言えば、この男はこのまま帰るだろう。
そして二度と会うこともあるまい。
そうなれば、俺は一生後悔することなるかもしれない。
ならば覚悟を決めるべきだな。
「いいだろう。
これを飲んで、効果があれば金を与えよう」
「ほほう、金餅様は『蛮勇』すらお持ちですか。
御見それしました」
「ふん、口の減らないやつだ」
俺は、厳重に封をされた缶のふたを開ける。
開けた瞬間、生理的に受け付けない嫌な臭いが鼻をかすめる。
はやくも後悔の念が押し寄せるが、ここまで来て引き下がることはできない。
俺は鼻をつまみながら、缶の中身を一気飲みする。
するとどうだ。
たちどころに涙があふれ始め、全身から活力が失わる。
そして酷い頭痛がして、平衡感覚を失い倒れる。
押し寄せる強烈な負の感情。
これは、いったい……
「金餅様、もうしわけありません。
どうやら効果が強すぎたようです。
大丈夫ですか?」
男に心配そうに俺に声を掛けられる。
だが今の俺にとって、耳障りそのものであった。
まるで、俺のメンタルが弱いと言っていうような気がしたからだ。
言葉では心配しているように言うが、馬鹿にしているようにしか聞こえない。
まさに不愉快。
この男は俺を上から見下して――
そこで俺は気づいた。
ああ、なるほど。
これが劣等感か。
使用人が慌てて駆け寄り、俺を抱き起す。
そうして椅子に座らせられることには、気持ちは落ち着いていた。
あの劣等缶の効果は一瞬だったようだ。
とはいえ、効果は抜群。
俺は初めて劣等感というものを味わった。
「おい、お前」
「なんでしょう」
男はビクッと体を震わせる。
効果が効き過ぎたことを怒られると思ったのかもしれない。
「この缶の効果は本物だった。
劣等感を味わうことが出来た。
礼を言う」
「それでは――」
「好きな金額を言え。
すぐに使用人に金を用意させる」
「はっ、ありがとうございます」
俺は新しく持っていないものを手に入れ、人生は少しだけ潤うのだった。
◆
『劣等缶騒動』から一週間、俺が常夏のビーチでバカンスを楽しんでいると、使用人が慌てて走って来た。
「鐘餅様、こ、これを読んでください」
使用人は、俺に押し付けるように新聞を渡してくる。
異様な慌てぶりに、俺は不安を感じながら新聞に目を通す。
そこには、あの怪しい男が写真付きで載っていた。
『詐欺師逮捕。
薬物を使って判断力を失わせ、金をだまし取ったか』
俺は頭が真っ白になる。
新聞によれば、あの男は言葉巧みに薬物を飲ませたとのこと。
つまり俺の時の『劣等缶』というのは……?
やられた!
俺は新聞紙を砂浜に叩きつける。
やはり『劣等缶』なんて、存在しなかったのだ。
俺は自分から判断力を失う薬物を飲み、そして金を払った。
俺はまんまとあの詐欺師に騙されたと言う事か……
完全にしてやられた。
待てよ。
確かにあの時に劣等感は感じた。
つまり、俺に対しては詐欺ではない?
だが、それにしたって……
この収まりがつかない感情は何なのだろうか。
俺は考えて考えて――
そこでふと気づく。
あいつ、意外と凄い人間かもしれない。
だってそうだろう。
あいつは俺が持ってないものを、またして持って来た。
今抱いている感覚の正体―
それは『敗北感』。
長い人生において、初めて敗北を知った瞬間であった。
7/14/2024, 3:37:48 PM