ことり、と棚に箱を置く。
数を確認して、深く溜息を吐いた。
ようやく元通りになった棚は、何も変わらないとばかりに佇んでいる。
「疲れた」
言葉にすれば、余計に疲労を感じてしまう。
今日はもう休もう。
そう決めて、しっかりと棚に鍵をかけた。
次の日。
いつものように部屋に入れば、棚の中は空だった。
「は?……え?」
状況が理解できず、硬直する。確かに鍵をかけたはずで、その時には箱は一つも欠けなく揃っていたはずだった。
「なんで?……え、どうして?」
「どうした?何かあったか?」
部屋の入口から動けないでいる自分に気づき、従姉妹が声をかける。肩越しに中を覗き込み、状況を理解して豪快に笑い声を上げた。
「な、何を笑って……また、箱が……!」
「心配しなさんな。箱はどこにも行ってない。ちょっと形を変えただけさ」
背を押され、部屋の中へと入る。棚に近づけば、その変化にようやく気づいた。
箱は一つも消えてはいない。ただ見えなくなっただけだ。
「いやぁ、こうしてみると個性があっていいねぇ」
従姉妹は楽しそうに笑って見ているが、自分にはそんな余裕は欠片もない。
棚に収まっている箱は、それぞれ誰かの秘密を閉じ込めているのだから。
箱に閉じ込められ、封じられていたはずの秘密。箱が透明になったことでその内側が透け、露わになってしまっている。
小さな嘘から禁を犯した大きなものまで、様々な秘密がその場面を只管に繰り返している。
「面白いねぇ。ほら、これなんていけ好かない叔父殿の秘密じゃあないか?」
棚の上段。右側にある箱を指差し、従姉妹は言う。視線を向ければ直視したくない光景が目に入り、慌てて視線を逸らした。
「な、なんで、そんなに平然を見てられるんですかっ!ここにあるのは秘密なんですよ!見ず知らずの他人の知られたくないことを、そう簡単に……!」
思わず声を荒げてしまう。
だが仕方がない。今は棚に収まっている箱は先日まで、自身の中身を満たすために棚から逃げだしていたのだから。すべて集めることができたものの、箱はすべて中身が満たされた状態だった。誰のものかも分からない秘密を覗き見る訳にもいかず、どうするべきかを悩んでいたというのに。
「相変わらず真面目だなぁ。心配しなくとも、ここに収まっているのは本家や分家の者たちの秘密だよ」
けらけらと、従姉妹は笑いながら箱を示す。
差し締めされた箱は、確かに見覚えのある人たちの秘密のようだった。
だからといって、気軽に見れるものではない。眉を寄せて従姉妹を見れば、彼女はこちらの考えなど見透かしているような顔をして、それに、と言葉を続けた。
「箱の中に収まっているということは、持ち主はそれを手放したってことだ。そして新しく持ち主となった箱は、それを内包するのではなく外へと誇示した……子供が作る標本のようなものさ。秘密の標本だ」
「秘密の、標本……」
棚の中の箱を見る。相変わらず箱は透明で、中身が曝け出されている。
子供が自身の捕らえた昆虫を磔にし、箱に収めて周囲に見せるようなもの。そう考えると、焦りや不安が消えていくような気がした。
小さく息を吐く。従姉妹は標本として晒されている秘密を見ながら、ふと何かに気づいたのか小さく首を傾げた。
考え込む姿に、不思議に思って声をかける。
「どうしました?」
「いや、なんていうか……秘密というのは、本来誰にも知られないように隠すからこそ秘密なんだ。それがこうして人目に晒されているとなると……それは秘密ではなくなるな」
「確かに……」
従姉妹の言葉に、思わず頷いた。
露わになった秘密は、秘密とは言えないだろう。
「隠されていたとはいえ、これらはすべて過去に起きた事実だ。そこにある分家の坊主のつまみ食いも、そっちの隅の曾祖父の隠し財産も……隠していたからこそ秘密であったものは、今やただの過去だ」
「えっと……つまり……?」
冷や汗をかきながらも、分からない振りをしてみる。
無駄だとは分かっているが、事実を受け止めるだけの覚悟を持てそうにはなかった。
だが従姉妹は眉を顰めて首を振る。諦めろと暗に言われ、嘆息して項垂れた。
不意に、部屋の外から甲高い悲鳴が聞こえた。箱を一瞥し、従姉妹と顔を見合わせる。
「今のって……」
「ただの過去となった秘密だったものが、周囲に認識されだしたんだろうな」
従姉妹の言葉に、口元が引き攣った。
もう一度、箱の中身を見る。
つまみ食いなど、小さな秘密はまだいい。問題は、隠し財産などの大きな秘密だ。
ばたばたと、何人もの人が忙しなく走り回っている音が聞こえる。一方的に相手を責め立てる金切り声。怒声や悲鳴がひっきりなしに聞こえている。
「当分はここでおとなしくしていた方が吉だな」
「そうですね」
苦笑する従姉妹の言葉に、力なく同意する。
面倒なことになったものだ。ここ数日、休みなしに逃げ出した箱を追いかけていたというのに、まだゆっくりとはできそうにないらしい。
溜息を吐く。眉を寄せて箱を睨むが、元に戻る様子はない。
「そう疲れた顔をするんじゃないよ。折角だから、どの秘密が一番被害が大きいか、予想してみるのはどうだい?面白そうじゃあないか」
「結構です。そこまで悪趣味ではありません」
けたけた。けらけら。
従姉妹の笑う声に合わせて、箱も笑う。
呑気なものだ。面倒なことに巻き込まれ兼ねないというのに。
外ではまだ、騒がしさが続いている。収まる気配は微塵もない。
喧騒と。笑い声と。
聞いている内に疲れを感じて、何度目かの溜息を吐く。
早く収まってほしい。
叶うことがないだろう願いを思いながら、八つ当たり気味に従姉妹の背を叩いた。
20251102 『秘密の標本』
11/4/2025, 5:34:05 AM