ハツ倉

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【終わらない問い】
昨日は何を食べたんだっけ。
目の前に広がる惨状をよそに回らない頭を必死に回す。
ハンバーグ?唐揚げ?魚?いや......。
どれもピンと来ない上に考えている途中に目の前に倒れた男の頭から生肉っぽいものがこぼれているのを目にしてしまったので、食べ物について考えるのはやめにした。別のものを思い出そう。
認知症の初期症状として、物忘れがあるらしい。定番といえば昨日食べたものだ。私はまだそこまで歳をとっていないが、若年性認知症やアルツハイマーなんかもあるので一応の試しをしている。しかし正直なところ、私にはもっと考えるべきことが沢山ある。目の前に倒れている男のこととか、自分の手に握られているバールのこと、全く馴染みのないシンプルな実験室のようなこの部屋のこと、ここへどうやってきたのか、今は何時なのか、そもそも私は何故こんなことになったのか.......。
ここまで来てしまっては認知症の類では片付けられないだろう。夢遊病?これは夢?それにしては生々しいしたちが悪い。
とにかく部屋の中を探索してみよう。さっき思ったようにここは研究室か実験室のようだが、簡素なデスクがひとつと書類、顕微鏡やパソコン、諸々の何かわからない器具があり1人個人のために作られた物のように見える。
目の前に倒れている男は40代くらいだろうか?エプロンのようなものを着ており割れてはいるが瓶底メガネ、冴えない見た目と言われてみれば研究者然としている。ここは彼の部屋だろうか。社員証のようなプレートには「茂木」と名前が記されている。
そこまで考えたところで、パソコンを見てみようという気になった。開かれている化学式だらけのページはちんぷんかんぷんなので閉じ、メールを開く。この男の名前位は書かれているかもしれない。
膨大な量のメールの1番上に、ほんの30分間に送信されたメールがあった。
「ついに完成した。とはいえこれはまだ副作用やちゃんと作用するかどうかは不確定、公表するのは待ちたい。
とりあえず君1人で確認しに来て欲しい。」完成?副作用?なにかの薬だろうか。辺りに目を配ると、おかしな装置が目に入った。チューブの絡まった趣味の悪いヘルメットのような代物だ。あちこちのボタンを押してみたりチューブを引き抜こうとしてみたが特にできることは無い。放置してメールの過去を探る作業に戻った。
「脳」「記憶」「コピー」「引き継ぎ」「後継」といったワードが無愛想なメールの中に散りばめられている。
なるほど、この機械は、一人の人間の記憶を完全にコピーしもう1人にそれを引き継がせることが可能となる発明品らしい。そんなことが本当に可能なのだろうか。ヘルメットをためつすがめつするもやはり動きはない。
.......もしかして、このヘルメットは対象の頭に装着することで記憶をコピーすることが出来るのだろうか?そしてそれを次の人に装着しなにかの操作をすればその記憶が2人目に.......まて。もしかして私は
そこまで思考をめぐらせたところで強い衝撃を感じその場に倒れ込んだ。せっかく思考が回り始めたというのに「お前、お前か、やっぱり!あの強欲爺が最してたのなんてお前だけだもんなあ。くそ、あのジジイ、自分の意思を継がせるとか言って手記や書類を残すんでもなく、お前みたいなお気に入りを後継にしようとしてんだからな、よっぽど自分の研究の手柄を他に分散したくないんだな。」
日の前で喚き散らしているのは30前後の男だった。手には血濡れたバールを握っている。さっき私が置いたものだ。贔屓?後継?メールで茂木が呼んでいたのは私なの
か。
「お前もお前だよ。今まで媚びながら地位狙ってたんだろ。あのジジイが癌だとか判明してからはこそこそパソコン探ろうとしたり研究に参加させてくれってねだったり。なんてったって他人の記憶を人に移植させられる研究だもんな。」
男が胸にかけている社員証のようなカードに目をこらそうとしたが、目の前が赤黒くチカチカしている。頭を抑えるとべったりと血が着いた。
「で、そのジジイ、かわいがってたお前に裏切られたんだな、見た感じ。悲しいもんだな研究者って。血も涙もないようなやつを部下に選んだもんだ。」そうかこの死んでいる茂木は私の上司だったのか。振り返って見てみた。傍に転がっているヘルメットを男が拾い上げる。
「お前、このジジイの記憶もう盗んだんだろ。ヘルメットのバッテリーが減ってる。......お?つまりお前が今持ってる記憶はじじいのもんなのか?」私ははっとする。そうか、私は茂木なのか!
と思ったもののぴんとこない。なにしろ、このパソコンや書類に書かれている化学式や電気回路、ヘルメットを見ても何一つ理解できないのだ。私がこれらの生みの親である茂木の脳を持っているのならすぐに分かるはずなのに。
そこまで考えて私は、恐ろしい考えに思い至った。もし私が、この男の言うように茂木の地位を狙い、記憶を手に入れるために茂木の頭を殴り殺したとしたのなら。そしてその後茂木の頭にヘルメットを被せたとしたのなら。死んで脳機能の停止した人間の記憶など引き継げるものなのだろうか。息もしていない茂木の頭の中など、心臓が停止した瞬間から「空っぽ」となるのでは?
「まあお前もここで終わりだよ。悪いな。抜けがけなんてするからだ。学者としてこれから名をあげるのは、じじいでもお前でもなく、この俺だ。」かすんでゆく視界の中、ヘルメットを手にした男がこちらへ近づいてくるのが見えた。やめろ、と叫ぼうとるも声も出ない。視界が暗転する。暗闇の中、頭に硬質な機械が当たる感触と「ピッ」という起動音がひびく。
それが最後だった。唯一私に許されていた思考も断ち切られ、意識が白になってゆく.......

俺はその場にへたりこんだまま考える。目の前には、40すぎの男と若い男が頭から血を流して倒れている。傍には血濡れたヘルメットのようなものが転がっている。悪趣味な夢か、夢遊病か?何も記憶が無い。
前後の記憶がすっぽり抜けるといえば、認知症かなにかなのだろうか。付近の食事を忘れる、自分が今何をしていたか忘れるというのが初期症状のはずだ。
さて、昨日は何を食べたんだったか......

10/27/2025, 9:51:33 AM