sairo

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広い室内の片隅で、幼子が床に座り込んでいた。
かち、かたり、と硬いものが触れ合ったような音がする。どうやら床にある何かを動かしているようだ。
落として割った皿の破片でも拾い集めているのだろうか。下手に触れれば怪我でしかねない。幼子に近づき声をかける。

「何をしている」

幼子に反応はない。かた、かちゃり、と音を立てて、熱心に手元を動かしている。
さらに近づき、手元を覗き込む。床に散らばる、白の陶器に似た破片を組み立てているのが見えた。

「無駄な事を。一度砕けたものが、元の通りに戻るわけなどないだろうに」
「……それでも」

手を止めず、幼子は呟く。
幼子特有のどこか稚拙な話し方ではあるが、その声音に聞き覚えがあった。

「それでも、かたちはととのえないと」

俯く幼子の横顔は、長い髪に隠され見る事が叶わない。
戻らなくとも、形を整える。それの意味する事に、知らず眉が寄る。
見かけを整えて何になるのか。騙されるのはそれに興味を持たぬものだけだろうに。
考えて、気づく。理解する。

――この白の破片は、この幼子の心《ココロ》だ。

白の破片。一点の曇りもない白は限りなく純粋で、それ故に整えるだけで労苦を伴う。白一色では、隣り合う破片を見つける事すら困難だ。
幼子は無心で白の破片を組み合わせている。一つ一つを丁寧に合わせ、元の形を探っている。
心が砕けてから今まで、こうして破片を繋ぎ合わせてきたのだろう。形だけが整えられたココロで、周囲に気づかれぬように必死で誤魔化してきたのだ。
ああ、と声が漏れた。

「もう十分だ。これ以上無理をする必要はない。お前は十分頑張ったよ」

幼子の血に染まった傷だらけの手を握る。手を止められた事で、ようやくこちらに視線を向けた幼子に微笑んでみせた。

「疲れただろう。少し眠るといい。お前が眠っている間は、私がお前の代わりになるから心配するな」
「でも、これはわたしのせい、だから。あなたに、これいじょうは、わがままをいえないよ」

表情なく、抑揚のない声音で幼子は首を振る。握る手を解き離されかけて、逃がさぬようにもう一度手を掴み強く引いた。
倒れ込む小さな体を胸に抱き留める。

「これは我が儘などではない。そも、お前は我が儘を言った事はないだろうに」
「そんな、こと」

否定の言葉を言いかけた幼子の頭を肩口に押し当て、続く言葉を強引に止める。
逃れようと踠く幼い抵抗は意味を持たず。背を撫で続ければ、次第に強張る力は抜けていく。

「眠れ。もういい。増える傷を隠して笑うくらいならば、いっそ眠り続けていてくれ」

すまない、と謝罪の言葉を述べる。微睡み始めた意識で緩慢に、それでも首を振り否定する幼子――半身となった哀しい娘に、歯痒さが募っていく。
娘が眠りにつくまで背を撫でながら、白の破片を見て思う。
穢れ一つないこの純粋な心に始めに罅を入れたのは、おそらく己なのだろう。





夜明け前の暗い獣道を、少女は一人歩いて行く。
当てはなく、意味もなくなったこの旅を、それでも終わらせる事が出来ないでいた。

「馬鹿だなあ。結局、逸脱してしまったんだ」

どこからか聞こえる声に、足を止めた。

「人間と混じってしまったね。これじゃあどうする事も出来ないよ」
「必要ない。解釈を誤った時からすでに手遅れだった」
「解釈?」

訝しげな声と共に、白蛇が顔を出す。
白蛇を見上げ、少女は表情一つ変える事なく、ああ、と肯定した。

「娘の望みの言葉は、終わらせてほしい、ではない。終わらせたい、だった。私はそれを誤った」
「どちらも大きく変わらないだろう」
「変わる。本来ならば、続く言葉があったからな」

口元だけで笑みを形作り、少女は淡々と言葉を紡ぐ。

「母を終わらせたい。だから攫われた子供達を戻してほしい…娘が本当に望んでいたのは、子らを救う事だった。私は誤ったんだ」

白蛇から視線を逸らし、目を伏せて。
少女を眠らせ成り代わった妖は、すまない、と誰にでもなく後悔を口にした。


少女の母は優しいが故に、とても弱い人間だった。家族を愛し、愛すが故に死の離別を怖れた。
最初の切っ掛けは、少女の妹の死だった。長く病を患い、短い生を終えた妹。その死は母の心に深い傷を負わせ、病ませた。
そして兄もまた病に倒れた。幸い死に至る事はなかったが、長い闘病生活の不安や恐怖は母を壊し、その命を奪った。
母の死。それは終わりではなく、悲劇、或いは狂気の始まりだった。
化生。亡者。壊れたココロで、死したはずの母は子を求めた。他人と我が子の区別すらつかぬまま、子を攫い内に取り込んだ。
少女だけだ。その狂気を止めようと足掻いたのは。壊れる母を思い悲しみ、必要な犠牲だと見て見ぬ振りをした父と兄を哀れんだ。
少女が眠りについてから、妖はその砕けたココロに触れた。そこでようやく、妖は己が少女を見誤っていた事に気づいたのだ。


「娘は母御の狂気を終わらせたかっただけだ。攫われた子らの代わりに共に在り、常世の迎えが来るまで待つつもりだったのだろう。それを」
「早とちりして、最悪な解釈をしたって訳か」

白蛇の言葉に、妖は苦笑する。

「ああ。待つだけだった娘に手を下させ、傷を付けた。母御と共に終を求めたはずが無理に生かされ、心は砕けてしまっている。すべて手遅れだ」
「…これからどうするのさ」

さあな、と妖は空を仰ぎ考える。
今は暗い空は、しかしもうしばらくすれば白み、朝が訪れるのだろう。だが心の砕けた少女は目覚める事はない。

「娘と共に在るだけだ。私にはそれしか出来ぬからな」
「そう」
「止めるか?」

白蛇に問いかける。酷く凪いだ声だった。
白蛇は妖を見つめ、静かに首を振る。人間と一つになった妖を、白蛇は救う術を持ち得なかった。

「止めない。お前を害する事は、人間を害する事になる…お前の好きにすればいい」
「すまないな」

呟いて、妖は歩き出す。その背を見送り、白蛇もまた妖に背を向けた。
妖がしたように空を見上げる。月のない暗い空に、妖の先を憂いた。



20250212 『ココロ』

2/13/2025, 4:13:07 AM