薄墨桜の巫女
美濃の山深き地に、「大枯桜」と呼ばれる桜があった。その桜は何百年も花を咲かせることなく、枯れたように立ち続けていた。村人たちは、この桜に恐ろしい呪いが宿っていると信じ、その周りを避けていた。
伝説曰く、かつて桜の下に命を捧げた巫女・お菊がいた。お菊は、村を守るために命を捧げることを命じられたが、その命は無駄に奪われたという無念の魂が桜に宿り、命を奪う呪いを生んだという。
京より来たる詩人・藤原雅信、彼は桜の伝説に心動かされ、月夜の晩、ひとり桜の前に立つ。村人たちは、雅信がその桜に近づくことを止めたが、彼は警告を無視して立ち続けた。月の光が大枯桜を照らす中、雅信は筆を取り、一首を詠む。
雅信
「大枯桜、何ぞ咲かぬ
長き歳月、枯れし枝
命を宿すことなかれ
何を恨み、何を訴えん」
その言葉が桜に届くと、幹より冷徹なる風が吹き、やがてお菊の姿がぼんやりと現れた。彼女は深き悲しみをその目に宿し、静かに言葉を紡ぐ。
お菊
「我が命、祭りに捧げし
村を守るためなりしが
皆は
無念の心、桜に宿り、
命奪い、永遠に縛られぬ。」
雅信はその言葉に打たれ、心より再び詩を詠む。
雅信
「お菊よ、無念を解かれよ、
そなたの命、無駄ならず、
村を守ることにあらず、
真実を知り、魂を解き放たん。」
お菊はしばし黙し、やがて再び言葉を紡ぐ。
お菊
「命を捧げしは、無知なる者ら、
ただ一人、儀式のために死せり。
無念の心、桜に宿り、
花を咲かせず、枯れしまま。」
雅信は再度、詩を口にする。
雅信
「お菊よ、今こそ解き放たれ、
呪いを解き、桜に命を与えん、
無念を晴らし、魂を導き、
詩の力を信じよ、花咲かせん。」
その言葉が終わると、大枯桜は激しく揺れ、月光の下で花が開き始めた。桜の花は、一夜にして咲き誇り、夜空に浮かぶ星々のように輝いた。
お菊の姿は桜の花の中から現れ、微笑みながら静かに言った。
お菊
「ありがとう、歌人よ、
今、我は解放される。
無念の心、桜に託し、
成仏の時、花と共に。」
その言葉を残し、お菊の姿は光となり、桜の花とともに消え去った。大枯桜は呪いが解かれると、枯れた枝が活気を取り戻し、薄墨色の花を咲かせ始めた。
薄墨桜として蘇ったその木は、毎年春になると美しい花を咲かせ、その花は「お菊の祈り」として村人たちに深く敬われるようになった。
完
1/28/2025, 1:45:02 PM